十六夜日記(阿仏尼)のあらすじ・登場人物
子を思う母の東下り
- 家族
- 古典
- 文字数
- 13,052字
- 読了目安
- 約26分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 京都府
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- 神奈川県
この作品について
鎌倉時代中期、阿仏尼が、京から鎌倉への旅とその後の鎌倉での滞在をつづった紀行日記。夫の藤原為家が亡くなったあと、播磨国の領地の相続をめぐって、正妻の子の二条為氏と争いになり、阿仏尼は我が子冷泉為相の権利を守るため、訴えを幕府に届けようと弘安2年(1279年)の秋、十六夜の月の頃に京を発って東海道を下る。旅の道すじと見聞、都に残した子への思い、和歌を交わした人々への便りを、和歌を多く交えて記す。巻末には、和歌の道と子の将来を祈る長歌が置かれる。書名は旅立ちの日が十月十六日(十六夜)であることにちなむ。本書は国文大観(丸岡桂・松下大三郎 共編、板倉屋書房、1906年)による原文で、国立国会図書館が公開する底本の画像とOCRテキストを照らし合わせて校正し、収録した。
あらすじ
「むかし、かべのなかよりもとめ出でたりけむふみの名をば…」と、和歌の道の由来と、わが身の事情を述べる序に始まる。為家の没後、細川荘の相続をめぐる争いをかかえた作者は、子の為相のために、訴えを幕府に届けようと鎌倉へ下る決心をする。弘安2年(1279年)十月十六日、十六夜の月の頃に京を出て、近江・美濃・尾張・遠江・駿河と東海道をたどる。逢坂の関、不破の関、熱田の社、浜名の橋、清見が関、富士山などの名所では、都に残した子への思いを重ね、折々の歌を詠み、都の人々と便りを取り交わす。やがて鎌倉に着き、月影の谷と呼ばれる所に住まいを定め、歌の友や縁者との便りのなかで日を送る。日記の末尾には、わが子の将来と和歌の道を祈る長歌が添えられる。
登場人物
- 作者(阿仏尼) 夫を亡くし、我が子の相続を守るために鎌倉へ下る
- 藤原為家 作者の亡き夫。歌人で、相続の遺言を残して世を去る
- 冷泉為相 作者と為家の子。母の訴えの成り行きを案じて都に残る
- 二条為氏 為家の正妻の子。作者と相続を争う
冒頭部(原文より)
むかし、かべのなかよりもとめ出でたりけむふみの名をば、今の世の人の子は、夢ばかりも身のうへの事とは知らざりけりな。みづぐきの岡のくづ葉、かへすがへすも、かきおくあとたしかなれども、かひなきものは親のいさめなり。又賢王の人をすて給はぬまつりごとにももれ、忠臣の世を思ふなさけにもすてらるゝものは、かずならぬ身ひとつなりけりと思ひ知りながら、またさてしもあらで、猶このうれへこそやるかたなく悲しけれ。
「十六夜日記」阿仏尼(青空文庫)
末尾部(原文より)
ながゝれとあさゆふいのる君が代をやまとことばにけふぞのべつる。
「十六夜日記」阿仏尼(青空文庫)
名文
むかし、かべのなかよりもとめ出でたりけむふみの名をば、今の世の人の子は、夢ばかりも身のうへの事とは知らざりけりな。
阿仏尼『十六夜日記』の書き出し。壁の中から見つかった書物の故事を引き、親の戒めを顧みない世を嘆くところから筆を起こす。
富士の山を見れば煙もたゝず。むかし父の朝臣にさそはれて、「いかになるみの浦なれば」などよみしころ、とほつあふみの国までは見しかば、「富士のけぶりの末も、あさゆふたしかに見えしものを、いつの年よりか絶えし」と問へば、さだかに答ふる人だになし。
東海道の旅で富士を仰ぐ場面。かつて父と旅した頃には見えた煙が今は絶えていると記し、歳月の移ろいを感じさせる。
原文を読む
原文はアプリに収録しています(縦書きで読めます)。底本:丸岡桂・松下大三郎 共編「國文大觀 日記草子部」(板倉屋書房、1906年)所収の「十六夜日記」。国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている底本の画像と、同館「次世代デジタルライブラリー」のOCRテキスト(パブリック・ドメイン)をもとに、画像と照らし合わせて校正し、十六夜日記の本文だけを収録した(本文の脇の異本の注記・傍注は省き、変体仮名は通行の仮名に改めた)。旧字は新字に改めた(仮名遣いは底本のまま)。