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可能性の文学(織田作之助)のあらすじ・登場人物

定跡に挑む端の歩突き

織田作之助 1946年(昭和21年)12月 「改造」

文字数
18,379字
読了目安
約37分
表記
新字新仮名

この作品について

織田作之助が1946年(昭和21年)12月号の「改造」に発表した評論で、作者が翌年1月に亡くなる直前の文学論にあたる。冒頭で、その年に没した将棋の坂田三吉が、生涯を賭けた対局の第一手に端の歩を突いて敗れた「阿呆な将棋」を取り上げ、定跡に挑んだその手を称える。そこから、志賀直哉の作品を頂点とする心境小説・私小説が日本の文壇の定跡となり、虚構や偶然を嫌って小説の可能性を狭めてきたと論じ、嘘をつく自由をこそ小説の本能とする立場を打ち出す。太宰治・坂口安吾と銀座の酒場ルパンで飲んだ夜のことや、講演でのでたらめなアラビア語の話も交えながら、スタンダール、ジイド、サルトルを引いて、人間の可能性を描く「可能性の文学」を呼びかける。

あらすじ

その年の七月、将棋の坂田三吉が七十七歳で死んだ。無学文盲で我流の棋風をあみ出した坂田は、六十八歳で十六年ぶりに臨んだ一生一代の対局で、木村・花田の両八段を相手に、第一手に端の歩を突くという定跡破りの手を指して二局とも惨敗した。筆者は「銀が泣いている」の名文句よりも、この「阿呆な将棋」こそ坂田の傑作として記憶したいと述べ、定跡に挑んで将棋の可能性を広げようとした青春の手だと評価する。

ひるがえって日本の文壇では、老大家は旧式の定跡から一歩も出ず、新人もそれに追従している。外国の近代小説が人間の可能性と小説形式の可能性を追究する「可能性の文学」であるのに対し、日本の伝統的小説は虚構も偶然も書かず、身辺と心境をありのままに描く狭い定跡にとどまっていると筆者は言う。講演で作り話のアラビア語を語って聴衆を感心させた話や、自作「世相」はすべて嘘だと説明しても大学教授が納得しなかった話を挙げ、嘘の可能性こそ小説の本能だと主張する。銀座の酒場ルパンで太宰治、坂口安吾と飲んだ夜の逸話も語られる。

筆者は志賀直哉の文章や功績を認めながらも、その心境小説が主流とされ神聖視されてきたことに罪があると断じ、「灰色の月」を例に、過不足なき描写という約束を疑う。小説を美術品のように鑑賞する態度、老境に憧れて生活の総決算だけを書く文学を批判し、サルトルの「水いらず」が裸の肉体を描いて人間の可能性の新しい出発点を示したことに触れる。横光利一の野心が「旅愁」で挫折したのも、志賀直哉の権威の前に屈したためだと述べる。そして最後に、小説とは人間を経験の堆積としてでなく可能性として追究する場であり、私小説の芸術観を古い偶像とともに追放し、白紙に戻って「可能性の文学」を創造すべきだと結ぶ。

冒頭部(原文より)

 坂田三吉が死んだ。今年の七月、享年七十七歳であった。大阪には異色ある人物は多いが、もはや坂田三吉のような風変りな人物は出ないであろう。奇行、珍癖の横紙破りが多い将棋界でも、坂田は最後の人ではあるまいか。  坂田は無学文盲、棋譜も読めず、封じ手の字も書けず、師匠もなく、我流の一流をあみ出して、型に捉えられぬ関西将棋の中でも最も型破りの「坂田将棋」は天衣無縫の棋風として一世を風靡し、一時は大阪名人と自称したが、晩年は不遇であった。いや、無学文盲で将棋のほかには何にも判らず、世間づきあいも出来ず、他人の仲介がなくてはひとに会えず、住所を秘し、玄関の戸はあけたことがなく、孤独な将棋馬鹿であった坂田の一生には、随分横紙破りの茶目気もあったし、世間の人気もあったが、やはり悲劇の翳がつきまとっていたのではなかろうか。中年まではひどく貧乏ぐらしであった。昔は将棋指しには一定の収入などなく、高利貸には責められ、米を買う金もなく、賭将棋には負けて裸かになる。細君が二人の子供を連れて、母子心中の死場所を探しに行ったこともあった。この細君が後年息を引き取る時、亭主の坂田に「あんたも将棋指しなら、あんまり阿呆な将棋さしなはんなや」と言い残した。「よっしゃ、判った」と坂田は発奮して、関根名人を指込むくらいの将棋指しになり、大阪名人を自称したが、この名人自称問題がもつれて、坂田は対局を遠ざかった。が、昭和十二年、当時の花形棋師木村、花田両八段を相手に、六十八歳の坂田は十六年振りに対局をした。当時木村と花田は関根名人引退後の名人位獲得戦の首位と二位を占めていたから、この二人が坂田に負けると、名人位の鼎の軽重が問われる。それに東京棋師の面目も賭けられている、負けられぬ対局であったが、坂田にとっても十六年の沈黙の意味と「坂田将棋」の真価を世に問う、いわば坂田の生涯を賭けた一生一代の対局であった。昭和の大棋戦だと、主催者の読売新聞も宣伝した。ところが、坂田はこの対局で「阿呆な将棋をさして」負けたのである。角という大駒一枚落しても、大丈夫勝つ自信を持っていた坂田が、平手で二局とも惨敗したのである。

「可能性の文学」織田作之助(青空文庫)

末尾部(原文より)

「可能性の文学」は果して可能であろうか。しかし、われわれは「可能性の文学」を日本の文学の可能としなければ、もはや近代の仲間入りは出来ないのである。小説を作るということは結局第二の自然という可能の世界を作ることであり、人間はここでは経験の堆積としては描かれず、経験から飛躍して行く可能性として追究されなければならぬ。そして、この追究の場としての小説形式は、つねに人間の可能性に限界を与えようとする定跡である以上、自由人としての人間の可能性を描くための近代小説の形式は、つねに伝統的形式へのアンチテエゼでなければならぬのに、近代以前の日本の伝統的小説が敗戦後もなお権威をもっている文壇の保守性はついに日本文学に近代性をもたらすという今日の文学的要求への、許すべからざる反動である。現在少数の作家が肉体を描くという試みによって、この保守性に反抗しているのは、だから、けっしてマイナス的試みではない。しかし、肉体を描くということは、あくまで終極の目的ではなくて単なるデッサンに過ぎず、人間の可能性はこのデッサンが成り立ってはじめてその上に彩色されて行くのである。しかし、この色は絵画的な定着を目的とせず、音楽的な拡大性に漂うて行くものでなければならず、不安と混乱と複雑の渦中にある人間を無理に単純化するための既成のモラルやヒューマニズムの額縁は、かえって人間冒涜であり、この日常性の額縁をたたきこわすための虚構性や偶然性のロマネスクを、低俗なりとする一刀三拝式私小説の芸術観は、もはや文壇の片隅へ、古き偶像と共に追放さるべきものではなかろうか。そして、白紙に戻って、はじめて虚無の強さよりの「可能性の文学」の創造が可能になり、小説本来の面白さというものが近代の息吹をもって日本の文壇に生れるのではあるまいか。

「可能性の文学」織田作之助(青空文庫)

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