明治文学管見(北村透谷)のあらすじ・登場人物
明治文学の流れを見通す
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- 18,582字
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- 新字旧仮名
この作品について
北村透谷の評論。副題は「日本文学史骨」。1893年(明治26)4月から5月、『評論』に4回連載された。明治文学の成立と、江戸の文学から続く「快楽」と「実用」の流れを整理し、明治の精神の変化を論じる。日本近代文学史の最初期の試みとされる。
あらすじ
第一章「快楽と実用」は、明治文学が26年の壮年となったが、その進歩・退歩を研究した史家はいないと指摘する。国民新聞の愛山生の評論には満足できない点があるものの、その気鋭と大胆は認めるとしたうえで、江戸の遊戯文学と明治の功利的な文学観を対比させる。最終部では、政府部内にさまざまな異分子が対立していて、外見の堅固さとは裏腹に危うい国体だと述べて筆を措く。
冒頭部(原文より)
一、快楽と実用 明治文学も既に二十六年の壮年となれり、此歳月の間に如何なる進歩ありしか、如何なる退歩ありしか、如何なる原素と如何なる精神が此文学の中に蟠りて、而して如何なる現象を外面に呈出したるか、是等の事を研究するは緊要なるものなり、而して今日まで未だ此範囲に於て史家の技倆を試みたるものはあらず、唯だ「国民新聞」の愛山生ありて、其の鋭利なる観察を此範囲に向けたるあるのみ。余は彼の評論に就きて満足すること能はざるところあるにも係らず、其気鋭く胆大にして、幾多の先輩を瞠若せしむる技倆に驚ろくものなり。余や短才浅学にして、敢て此般の評論に立入るべきものにあらねども、従来「白表女学雑誌」誌上にて評論の業に従事したる由来を以て、聊か見るところを述べて、明治文学の梗概を研究せんと欲するの志あり。余が曩に愛山生の文章を評論したる事あるを以て、此題目に於て再び戦を挑まんの野心ありなど思はゞ、此上なき僻事なるべし。之れ余が日本文学史骨を著はすに当りて、予め読者に注意を請ふ一なり。
「明治文学管見」北村透谷(青空文庫)
末尾部(原文より)
国民は既に政治上に於ては、旧制を打破して、万民倶に国民たるの権利と義務を担へり。この「権利」と「義務」は、自からに発達し来れり、権義の発達は即ち個人的精神の発達なり。材能あるものは登用して政府の機務を処理することゝなれり。而して材能なきものと雖も、一村一邑に独立したる権義の舞台となりて、個人的の自由を享有するものとなれり。富の勢力は軈かに上騰したり。アビリチーの栄光漸くあらはれ来れり。必要は政府を促がして、法律の輸入をなさしめたり。之を要するに個人的精神は長大足の進歩を以て、狭き意味に於ける国家的の精神の領地を掠め去れり。国民の自由を保護すべき武器として、言論集会出版等の勢力漸くにして世に顕はれたり。政府未だ如何にして是等の新傾向に当るべきかを知らざりしなり。明治政府はひたすら聯合より単一に趣かんことに意を鋭くしたり。十年の役は聊か其目的を達したりと雖、なほ各種の異分子の相疾悪するもの政府部内に蟠拠するあれば、表面は堅固なる組織の如くなれど、其実極めて不安心なる国躰なりと云はざるを得ず。 (明治二十六年四月)
「明治文学管見」北村透谷(青空文庫)
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