木乃伊の口紅(田村俊子)のあらすじ・登場人物
その唇がまざまざと真つ赤な色を
- 心理
- 恋愛
- 文字数
- 38,570字
- 読了目安
- 約1時間17分
- 表記
- 旧字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
1913年(大正2年)、「中央公論」に発表された田村俊子の代表作。原稿の売れない夫・義男と、その妻で自身も筆を執るみのる。上野の森を望む二階家で、質入れの包みを抱えて雨の道を歩く貧しい暮らしが続くなか、みのるの小説が懸賞に当選して文壇に迎えられる。夫の嫉妬と、女の内に膨らんでゆく自我。愛憎の絡み合う夫婦の呼吸を、官能的で粘りのある文章で描き出した。表題は、みのるが最後に見る奇妙な夢に由来する。
あらすじ
一月初めの夕暮れ、みのるは二階の窓から曇った空を眺めていた。仕事を探しに出た夫・義男は、今日も原稿が売れずに帰ってくるだろう。案の定、風呂敷包みを抱えて戻った義男は、畳に顔を押しつけて「駄目。駄目」と言う。二人は何も食べずに一日を過ごしていた。「僕は到底駄目な人間だね。僕にやとても君を養つてゆく力はないよ」。みのるは箪笥から着物を出して包みをこしらえ、雨の中を質屋へ向かう。軽い紙幣がコートの衣兜に残ると、二人はようやく浮世の人間並みの顔に戻るのだった。だが困窮は二人の神経をすり減らし、愛情は執着と嫉妬のかたちをとって絡み合ってゆく。やがてみのるの書いた小説が懸賞に当選し、選者である簑村文学士の家に招かれる。文学士たちに囲まれ、感情が華やかに躍るのを感じながら夜遅くまで引き留められて帰った彼女を、義男はこの頃にない嫉妬とともに黙って迎えた。その晩、みのるは奇妙な夢を見る。硝子箱の中に鼠色をした男女の木乃伊が重なり合い、上を向いた女の顔の唇だけが、まざまざと真っ赤に塗られている夢であった。
登場人物
- みのる 筆を執る若い妻。貧しい暮らしのなかで懸賞に当選し、文壇に迎えられる
- 義男 みのるの夫。原稿が売れず、妻の成功に嫉妬を覚える
- 簑村文学士 懸賞の選者。みのるを自宅に招き、選考の苦心を語る
- 有野文学士 簑村の家に来合わせた文学士。「けれどもね」が口癖の男
冒頭部(原文より)
一 淋しい風が吹いて來て、一本圖拔けて背の高い冠のやうな檜葉の突先がひよろ/\と風に搖られた。一月初めの夕暮れの空は薄黄色を含んだ濁つた色に曇つて、ペンで描いたやうな裸の梢の間から青磁色をした五重の塔の屋根が現はれてゐた。 みのるは今朝早く何所と云ふ當てもなく仕事を探しに出た良人の行先を思ひながら、ふところ手をした儘、二階の窓に立つて空を眺めてゐた。
「木乃伊の口紅」田村俊子(青空文庫)
末尾部(原文より)
「私はこんな夢を見た。」 みのるは義男の傍に行つて話をした。さうして「これは何かの暗示にちがひない。」と云ひながら、その形だけを描かうとして机の前へ行つた。 「夢の話は大嫌ひだ。」 然う云つた義男は寒い日向で痩せた犬の身體を櫛で掻いてゐた。
「木乃伊の口紅」田村俊子(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。