アプリで読む

無料・登録不要

聖ぷりずみすとに与う(室生犀星)のあらすじ・登場人物

暮鳥の前衛詩への熱い序文

室生犀星 1915年(大正4年)12月

文字数
1,088字
読了目安
約2分
表記
新字新仮名

この作品について

室生犀星が山村暮鳥の詩集『聖三稜玻璃』のために書いた序文。1915年6月に故郷の金沢で書かれ、同年12月のにんぎよ詩社版に載った。難解といわれたこの詩集の鋭い言語感覚をいち早く評価する、同時代の詩人どうしの友情と批評の記録である。親友の詩を擁護する犀星の熱がそのまま伝わる。

あらすじ

犀星は、暮鳥の詩篇に「鋭角な玻璃状韻律」を最近になって発見したと書き出す。あるものは手足を切るような刃物を持ち、湧き上がるリズムを中途で斬り、これまでの日本の詩人に例のない新鮮な景情をつくったと述べる。飛行機や砂山の上の人間の指一本といった幻想的な光景も、暮鳥には日常のことであり、その愉楽は官能や感覚上の遊びを超えているという。暮鳥の愛は玻璃や貴金属から樹木、昆虫、人類へと広がり、今は金属の内部の暗い光と向き合っていると語る。結びで、暮鳥の理解者が増えることさえ侮辱とまで考えてよいと言い、分からなければ黙っていろという言葉を周囲に呟く者へ与えたいと記す。文末は「千九百十五年六月、故郷にて」。

冒頭部(原文より)

 尊兄の詩篇に鋭角な玻璃状韻律を発見したのは極めて最近である。其あるものに至っては手足を切るような刃物を持っている。それは曾ての日本の詩人に比例なき新鮮なる景情を創った。たとえば湧き上るリズムをも尊兄はその気禀をもって中途で斬ってしまう。又多く尊兄に依って馳駆される詩句のごときもまったく尊兄の創造になるものである。寒厳なる冬の日の朝、眼に飛行機を痛み、又、遠い砂山の上に人間の指一本を現実するは必ずしも幻惑ではない。尊兄にとっては女人の胴体のみが卓上に輝いていることを常に不審としないところである。他人が見て奇蹟呼ばわりするものも尊兄にはふだんの事だ。尊兄の愉楽はもはや官能や感覚上の遊技ではない。まことに恐るべき新代生活者が辿るものまにあの道である。玻璃、貴金属に及ぶ愛は直ちに樹木昆虫に亘り、人類の上に拡がっている。尊兄は曾て昆虫に眼をあたえてからもう久しくなった。今、尊兄は怪しき金属の内部にある最も緻密な幽暗な光と相対している。今、尊兄は癲癇三角形の上に登っている。まことに尊兄の見るところに依れば珈琲茶碗はへし曲り、テエブルは歪んでいる。

「聖ぷりずみすとに与う」室生犀星(青空文庫)

末尾部(原文より)

 私は思っている。尊兄の詩が愈々苦しくなり、難解になり、尊兄ひとりのみが知る詩篇になることを祈っている。解らなくなればなるほど解るのだという尊兄の立場を私は尊敬している。誰にも解って貰うな。尊兄はその夏の夜に起る悩ましい情慾に似た淫心を磨いて光を与えることである。尊兄の理解者が一人でも殖えるのは尊兄の侮辱とまで極端に考えてもよいのだ。すくなくとも其位の態度で居ればよいのだ。解らなければ黙っれ居れ。この言葉を尊兄のまわりに呟くものに与えてやりたく思う。 千九百十五年六月、故郷にて 室生犀星

「聖ぷりずみすとに与う」室生犀星(青空文庫)

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

青空文庫の図書カード

同じ作家の作品