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白瓜と青瓜(長塚節)のあらすじ・登場人物

瓜を市場へ運ぶ夫婦

長塚節 1912年(大正元年)1月 「女学世界」

文字数
6,247字
読了目安
約12分
表記
旧字旧仮名
種別
小説

この作品について

長塚節が、小作農の若夫婦を描いた短篇。貧しくても自分の手で作ったもので満ち足りる農民の暮らしと、夫婦で荷車を引いて市場へ売りに行く姿を、静かに写す。『土』に通じる、農村への眼差しが感じられる。

あらすじ

庄次は小作人の子で、土着の百姓の家に生まれた。小作人は収穫のうちから小作料を納めるため、懐に残るのは僅かで、衣類を節約し、食料は塩のほかは自分の手で作ったもので満足する。語り手はまず、そうした小作の暮らしの仕組みを説明する。やがて庄次と妻のお杉さんが、夏に荷車を曳いて市場へ瓜を売りに行く場面が描かれる。夫の強健な皮膚は暑い日に光り、荷車を押すお杉さんの頬は日に焼け、背には小さな子が眠っている。籠の中の青瓜は油のように艶があり、白瓜は白さを保って微笑んでいるようだ。

冒頭部(原文より)

 庄次は小作人の子でありました。彼の家は土着の百姓であります。勿論百姓といふものが一旦落ちついた自分の土地を離れて彷徨ふといふことはよく/\の事情が起らない限りは決してないことであります。自分に土地を所有する力の無いものは他の土地を借りて作物を仕付ます。そして相應に定められた金錢や又は米や麥の收獲の一部を地主へ納めるのであります。此が小作料であつて、私の間に授受されて居る租税であります。それで小作人の懷にする處は其の收獲のうちから自分の食料までも減じて見ると、立派な體格を有つた一人の働きが實際何程にも當らないのであります。然し彼等は四季を通じて殆んど田畑の仕事にばかり屈託して居るのですから衣類の節約が極端に行はれて居ます。それから食料というても、第一には鹽を買ふ外には自分の手で作つた物で十分に滿足することが出來ます。それからどんな姿にでも雨戸が有れば住むに事を缺くことはないのであります。

「白瓜と青瓜」長塚節(青空文庫)

末尾部(原文より)

 事件は恁うして互に僞なき心から無雜作に決定して、あとは再び沼の水のやうな平靜の状態が長く續きました。夫婦の間には子が幾人か生れました。爺さんの死後二人は依然として瓜を作ることを止めませんでした。瓜畑には毎年沼の水に浮んだやうな地味な小さな花が開きました。荷車を曳いて行く庄次は強健な皮膚が暑い日に光りました。それから荷車の後を押して行くお杉さんも白かつた頬が日に燒けて脊には何時でも小さな子が首をくつたりと俛れて眠つて居ました。只夫婦が市場へ曳いて行く籠の中には青瓜が油ぎつたつやゝかさを保つて白瓜が依然として美しい白さを保ちながら微笑んで居ました。 (明治四十五年一月十五日發行、女學世界定期増刊 第拾貮卷第貮號所載)

「白瓜と青瓜」長塚節(青空文庫)

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