アプリで読む

無料・登録不要

なかじきり(森鴎外)のあらすじ・登場人物

生涯を区切り注文を断る

森鴎外 1917年(大正6年)9月 「斯論」

文字数
1,802字
読了目安
約4分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

1917年(大正6年)9月の「斯論」に発表された短い文章。鴎外が自分の過去と現在を短くまとめ、文芸や社会問題についての意見や小説を求めてくる来訪者に、あらかじめ答えるために書かれた。医として仕え、文士として抒情詩・小説・戯曲・哲学・歴史に手を染めたが、いずれも本職の覚悟はなく、終始「ヂレッタンチスム」で知られたと自己規定する。題の「中為切」は、年の途中で行う勘定の区切りのこと。

あらすじ

鴎外は、老いが身に迫り、人は過去を省みるものだと述べて、自分の生涯を振り返る。医として仕えたこと、文士としては抒情詩・小説・戯曲・哲学・歴史のそれぞれで足慣らし程度の仕事をしたことを順に記し、自分には初めから文士・芸術家・哲学者・歴史家としての覚悟はなく、終始ヂレッタンチスムで人に知られたと言う。ここまでが過去で、現在はなにもせず一閑人として生きているが、書を読み、詩や歌を作り、碑文や伝記を書いて、生活の惰力のようなものを保っているという。結びでは、近ごろ自分を訪ねて文芸や社会問題の意見を求め、小説を求める人が多くて煩わしいので、過去と現在をはっきり告げて来訪を断ると述べ、この文章を顧炎武が室に懸けた応酬を拒む札になぞらえる。

冒頭部(原文より)

 老いはようやく身に迫ってくる。  前途に希望の光が薄らぐとともに、みずから背後の影をかえりみるは人の常情である。人は老いてレトロスペクチイフの境界に入る。  わたくしは医を学んで仕えた。しかしかつて医として社会の問題に上ったことはない。「※※雕朽木、老大免左遷」の句がある。  わたくしの多少社会に認められたのは文士としての生涯である。抒情詩においては、和歌の形式がいまの思想を容るるに足らざるをおもい、また詩が到底アルシャイスムを脱しがたく、国民文学として立つゆえんにあらざるをいったので、款を新詩社とあららぎ派とに通じて国風新興を夢みた。小説においては、済勝の足ならしに短篇数十を作り試みたが、長篇の山口にたどりついて挫折した。戯曲においては、同じ足ならしの一幕物若干が成ったのみで、三幕以上の作はいたずらに見放くる山たるにとどまった。

「なかじきり」森鴎外(青空文庫)

末尾部(原文より)

 わたくしは叙実の文を作る。新聞紙のために古人の伝記を草するのも人の請うがままに碑文を作るのも、ここに属する。何故に現在の思量が伝記をしてジェネアロジックの方向を取らしめているかは、未だまったくみずから明かにせざるところで、上にいった自然科学の影響のごときは、少くも動機の全部ではなさそうである。趙翼は魏収をそしって「代人作家譜」といった。しかしわたくしの伝記を作るのと、支那人が史を修めたのとは、その動機に同じからざるものがあるかとおもう。碑文に漢文体を用いるのも、また形式未成のゆえである。これが歴史である。現在はかくのごとくである。  近ごろわたくしを訪うて文学芸術の問題ないし社会問題に関する意見を徴し、また小説を求むるものが多い。わたくしはその煩にたえない。あえてあからさまに過去と現在とを告げて徴求の源をふさぐ。  顧炎武はかつて牌を室に懸けて応酬文字を拒絶した。この「なかじきり」もまた顧家懸牌の類である。

「なかじきり」森鴎外(青空文庫)

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

青空文庫の図書カード

同じ作家の作品