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妣が国へ・常世へ(折口信夫)のあらすじ・登場人物

海の彼方への祖先のあこがれ

折口信夫 1920年(大正9年)5月 「国学院雑誌」

文字数
7,559字
読了目安
約15分
表記
新字旧仮名

この作品について

折口信夫の初期の代表的な論考。日本人の祖先が海の彼方に思い描いた「妣が国」「常世」への憧れから、日本の信仰と文学の源流をたどる。のちに「まれびと」論へ展開する折口民俗学の出発点にあたる。

あらすじ

われわれの祖たちが、まだ青雲のふる里を夢みていた昔から、この話は始まる、と論は呼びかける。とんぼう髷を頂に据えた祖父・曾祖父の代まで、起伏してきた感情があり、開化の光は海の胸を一挙に干潟としたが、そのなごりには波の穂うつ明日の兆しがあると述べる。そこから、母の国である妣が国、永遠の国である常世を思う心が、日本人の古い信仰の基にあると論じる。結びは、語部の口や史の筆に洩れた今来の神々が、後世には根生いの神のように見えて来たと述べ、神々の来歴を探る視点を示す。

冒頭部(原文より)

     一 われ/\の祖たちが、まだ、青雲のふる郷を夢みて居た昔から、此話ははじまる。而も、とんぼう髷を頂に据ゑた祖父・曾祖父の代まで、萌えては朽ち、絶えてはえして、思へば、長い年月を、民族の心の波の畦りに連れて、起伏して来た感情ではある。開化の光りは、わたつみの胸を、一挙にあさましい干潟とした。併し見よ。そこりに揺るゝなごりには、既に業に、波の穂うつ明日の兆しを浮べて居るではないか。われ/\の考へは、竟に我々の考へである。誠に、人やりならぬ我が心である。けれども、見ぬ世の祖々の考へを、今の見方に引き入れて調節すると言ふことは、其が譬ひ、よい事であるにしても、尠くとも真実ではない。幾多の祖先精霊をとまどひさせた明治の御代の伴大納言殿は、見飽きる程見て来た。せめて、心の世界だけでなりと、知らぬ間のとてつもない出世に、苔の下の長夜の熟睡を驚したくないものである。

「妣が国へ・常世へ」折口信夫(青空文庫)

末尾部(原文より)

唯さへ、おほまがつび・八十まがつびの満ち伺ふ国内に、生々した新しい力を持つた今来の神は、富みも寿も授ける代りに、まかり間違へば、恐しい災を撒き散す。一旦、上陸せられた以上は、機嫌にさはらぬやうにして、精々禍を福に転ずることに努めねばならぬ。併し、なるべくならば、着岸以前に逐つ払ふのが、上分別である。此ために、塞への威力を持つた神をふなどと言ふことになつたのかも知れぬ。一つことが二つに分れたと見えるあめのひぼこ・つぬがのあらしとの話を比べて見ると、其辺の事情は、はつきりと心にうつる。此外に、語部の口や、史の筆に洩れた今来の神で、後世、根生ひの神の様に見えて来た方々も、必、多いことゝ思はれる。

「妣が国へ・常世へ」折口信夫(青空文庫)

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