身毒丸(折口信夫)のあらすじ・登場人物
諸国をめぐる美貌の踊り児
- 歴史
- 文字数
- 10,064字
- 読了目安
- 約20分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 大阪府
この作品について
1917年(大正6年)6月、『みづほ』に発表された折口信夫の短編。住吉の田楽法師の一座に育つ身毒丸は、九歳のころに別れた父の姿を思い返す。旅の道で芸人たちの背に眠った記憶と、父から聞いた言葉が、十七歳になった少年の心で少しずつ意味を持ち始める。髪を剃る年頃を過ぎても、美しさを惜しむ師匠はそれを延ばし、一座は各地を踊り回っている。草木の色や衣装、芸人の身体といった細部が、旅をする少年の感覚に沿って描かれる。末尾の附言で作者は、高安長者伝説から宗教倫理の教えに結びつく要素を取り去り、原初の物語へ戻して書いたと説明する。謡曲『弱法師』や説教節との関係を考えながら、伝説研究の表現に小説という形式を用いた試みである。伝承を単に再話するのでなく、記憶と想像から人物の暮らす世界を立ち上げている。
あらすじ
身毒丸の父・信吉法師は、住吉から出た田楽法師であった。もとは寺で得度した身でありながら、ある女ゆえに堕ちて田舎聖の田楽法師の仲間に投じたという。信吉と身毒の血には、先祖から受け継いだ病がひそんでいた。父はその罪滅ぼしのため、あるいは血縁にしぶとく根を張るこの病を一代で絶やすために、幼い身毒に「浄い生活を送れ」と言い残す。身毒がまだ九つのとき、奈良はずれの宿で不気味なむくみの浮いた背を見せた父は、その夜のうちに姿を消してしまった。父に捨てられた身毒は、住吉神宮寺に付属する田楽法師の瓜生野の座に養われ、子方として育つ。この仲間では十一、二になると髪を剃り落とされるのが習いだが、身毒だけは十七になるまで剃られずにいた。細面に女のような柔らかな眉、赤い唇からこぼれる貝殻のように美しい歯――その稀なる美しさに、師匠の源内法師は剃り落とすに忍びず、一年また一年と延ばしていたのである。毎年めぐり歩く国々で、この美しい若衆は「牛若とはこんな人であったろう」と評判になり、女たちにもてはやされた。ある年、伊勢の関の宿で危うい傘踊りを披露した身毒に、関の長者の妹娘が心を奪われ、はした女を供に親の家を抜け出して一行を追ってくる。困り果てた身毒が師匠に告げると、源内法師は二人を追い返し、その夜、身毒を朝まで折檻する。翌朝、弟子たちは、青々と剃り落とされた頭を垂れて藤棚の下に茫然と立ちつくす身毒の姿を見出す。美貌ゆえに愛され、美貌ゆえに縛られる少年の哀しみを軸に、折口は俊徳丸伝説の原初のすがたを小説として語り直す。末尾には、伝説研究の表現形式として小説を用いたという作者自身の言葉が添えられている。
冒頭部(原文より)
身毒丸の父親は、住吉から出た田楽師であつた。けれども、今は居ない。身毒はをり/\その父親に訣れた時の容子を思ひ浮べて見る。身毒はその時九つであつた。 住吉の御田植神事の外は旅まはりで一年中の生計を立てゝ行く田楽法師の子どもは、よた/\と一人あるきの出来出す頃から、もう二里三里の遠出をさせられて、九つの年には、父親らの一行と大和を越えて、伊賀伊勢かけて、田植能の興行に伴はれた。
「身毒丸」折口信夫(青空文庫)
末尾部(原文より)
俊徳丸といふのは、後の宛て字で、わたしはやつぱりしんとくまるが正しからうと思ひます。身毒丸の、毒の字は濁音でなく、清音に読んで頂きたいと思ひます。但し、謡曲の弱法師といふ表題は、此物語の出自を暗示してゐるもので、同時に日本の歌舞演劇史の上に、高安長者伝説が投げてくれる薄明りの尊さを見せてゐると考へます。
「身毒丸」折口信夫(青空文庫)
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