アプリで読む

無料・登録不要

惜みなく愛は奪う(有島武郎)のあらすじ・登場人物

愛は惜みなく奪う

有島武郎 1920年(大正9年)6月

文字数
79,158字
読了目安
約2時間38分
表記
新字新仮名

この作品について

「愛は惜みなく与う」というトルストイの言葉を正面から反転させた、有島武郎の思想の書。愛とは対象を自分のなかに奪い取り、生かしきることだ——習性的生活・知的生活・本能的生活という三段階の生の把握を通じて、個性の解放と「本能的生活」の全的肯定が説かれる。白樺派の思想を代表する一冊。

あらすじ

ホイットマンの詩を掲げて、有島はこう書き起こす——「太初に道があったか行があったか、私はそれを知らない」。彼が提示するのは、人間の生活を三つの層として捉える見方である。第一は「習性的生活」。因襲と他人の目に従い、自分で選んだのではない規範のなかで暮らす生である。第二は「知的生活」。習性を疑い、理性によって秩序を組み立てようとする生だが、知性はつねに生を対象化し、外側から眺めるにとどまる。そして第三が「本能的生活」——自己の内部から湧き上がる要求のままに、全身で生きる生である。有島にとって、これこそが真に生きるということだった。ではその本能的生活において、愛はどのようなはたらきをするのか。「愛は惜みなく与う」と言われるが、それは誤りである、と有島は断じる。与えるとは、対象を自分の外に置いたままにすることだ。真の愛は、対象を自分のうちに奪い取り、自己と一体化して、その内容を豊かに拡大する。だから「愛は惜みなく奪う」のだ、と。母が子を愛するとき、芸術家が作品を生むとき、そこにあるのは与える愛ではなく奪う愛である。結びで有島は、思想は一つの実行であることを忘れていないと述べ、この書は哲学の素養も社会学の造詣もない「一人の平凡な偽善者の僅かばかりな誠実が叫び出した訴え」にすぎないと記して、「凡てのよきものの上に饒かなる幸あれ」と筆を置いている。

冒頭部(原文より)

一  太初に道があったか行があったか、私はそれを知らない。然し誰がそれを知り得よう。私にとって明らかなのは、私が現に生きているということだけである。

「惜みなく愛は奪う」有島武郎(青空文庫)

末尾部(原文より)

 これは哲学の素養もなく、社会学の造詣もなく、科学に暗く宗教を知らない一人の平凡な偽善者の僅かばかりな誠実が叫び出した訴えに過ぎない。この訴えから些かでもよいものを聴き分けるよい耳の持主があったならば、そしてその人が彼の為めによき環境を準備してくれたならば、彼もまた偽善者たるの苦しみから救われることが出来るであろう。  凡てのよきものの上に饒かなる幸あれ。

「惜みなく愛は奪う」有島武郎(青空文庫)

名文

愛の表現は惜みなく与えるだろう。然し愛の本体は惜みなく奪うものだ。

書名の由来となった一節。愛は与えるものだという通念を覆し、愛の本体は他者を自己のうちに取り込んで成長する「奪う」力だとする、有島の個性論の核心。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

青空文庫の図書カード

同じ作家の作品