かんかん虫(有島武郎)のあらすじ・登場人物
錆を叩き落とす港の荒くれ者
- 社会
- 文字数
- 11,345字
- 読了目安
- 約23分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
有島武郎が1910年(明治43年)に同人誌「白樺」へ発表した短編小説。「かんかん虫」とは、船体にこびりついた錆を鏨(たがね)で叩き落とす港湾労働者を指す俗称。作者がアメリカ留学の途次に見聞した黒海沿岸ロシアの港ケルソンを舞台に、荷役に汗を流す荒くれた労働者たちの群像と、その中で異様な存在感を放つ大男ヤコフ・イリイッチの姿を、「私」の目を通して力強い筆致で描く。白樺派の作家として出発した有島の初期を代表する一編で、下層に生きる者たちの生命力と社会の底辺へ注がれる視線がすでに色濃くにじむ。
あらすじ
焼けつくような真夏のロシアの港ケルソン。「私」は、船体の錆を叩き落とす「かんかん虫」と呼ばれる港湾労働者の群れに加わって一週間になる。荒くれた男たちの中で、「私」はヤコフ・イリイッチという並外れて大きな体と異相を持つ男に、抗いがたい吸引力を感じている。灼熱と汗、罵声と喧嘩の絶えない荷役の現場で、労働者たちは監督や警官の権威に反発しながら、それでも黙々と鉄を打ち続ける。ある事件をきっかけに現場は騒然となり、駆けつけた警部と巡査たちの厳しい監視のもと、労働者たちは危険な道具を取り上げられて大運搬船へ移される。権力に押さえつけられながらも、腹の底で不平と反抗をくすぶらせる男たち――その一人が巡査に睨まれ、唾を吐くように「畜生」とつぶやいて下を向く。異国の港に生きる底辺の労働者たちの野性と哀感を、有島は乾いた強靭な筆で刻みつける。
登場人物
- 私 荷役の現場に加わって一週間になる語り手。荒くれた労働者たちを観察する
- ヤコフ・イリイッチ 並外れて大きな体と異相を持ち、不思議な吸引力を放つ大男
- イフヒム かんかん虫(港湾労働者)の一人
冒頭部(原文より)
ドゥニパー湾の水は、照り続く八月の熱で煮え立って、総ての濁った複色の彩は影を潜め、モネーの画に見る様な、強烈な単色ばかりが、海と空と船と人とを、めまぐるしい迄にあざやかに染めて、其の総てを真夏の光が、押し包む様に射して居る。丁度昼弁当時で太陽は最頂、物の影が煎りつく様に小さく濃く、それを見てすらぎらぎらと眼が痛む程の暑さであった。 私は弁当を仕舞ってから、荷船オデッサ丸の舷にぴったりと繋ってある大運搬船の舷に、一人の仲間と竝んで、海に向って坐って居た。仲間と云おうか親分と云おうか、兎に角私が一週間前此処に来てからの知合いである。
「かんかん虫」有島武郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
へん、大袈裟な真似をしやがって、 と云う声がしたので、見ると大黒帽の上から三角布で頬被りをした男が、不平相にあたりを見廻して居たが、一人の巡査が彼を見おろして居るのに気が附くと、しげしげそれを見返して、唾でも吐き出す様に、 畜生。 と云って、穢らわし相に下を向いて仕舞った。
「かんかん虫」有島武郎(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。