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ランボオ詩集(ランボー)のあらすじ・登場人物

中也が訳した早熟の詩人

  • 翻訳

ランボー 訳者 中原中也 1937年(昭和12年)9月

文字数
32,571字
読了目安
約1時間5分
表記
新字旧仮名

この作品について

フランスの詩人アルチュール・ランボーの韻文詩を、中原中也が訳した訳詩集。前年の『ランボオ詩抄』に続いて1937年(昭和12年)9月に野田書房から刊行され、中也はその翌月、30歳で世を去った。後記によれば、メルキュール・ド・フランス社の1924年刊の作品集から、韻文で書かれたもののほとんどを訳したという。「初期詩篇」「飾画篇」「追加篇」の三部に、小林秀雄が写してきた未発表詩を附録として添え、「酔ひどれ船」「母音」「永遠」などを収める。中也は、できるだけ逐字訳をしながらそれが日本語として通じるよう、語勢と語呂に心を配ったと記している。十代で詩を書きはじめ、二十歳を過ぎてまもなく筆を折った詩人の言葉を、自らも詩人であった訳者の口調で伝える一冊。

あらすじ

本書は「初期詩篇」「飾画篇」「追加篇」の三部と附録から成り、巻末に訳者の後記を置く。「初期詩篇」は、夏の青い宵に小径を歩いて行こうとうたう「感動」に始まり、ポケットに手を突っこんで夜空の下を歩く「わが放浪」、緑の窪地に眠るように横たわる若い兵士を描く「谷間の睡眠者」、パン屋の窯の前にうずくまる子供たちを見つめる「びつくりした奴等」などが続く。後半には、曳船人を失って河を下り、大海をさまよう船の幻視をうたう長詩「酔ひどれ船」や、「Aは黒、Eは白」と母音に色を与える「母音」が置かれる。「飾画篇」には、「また見付かつた。/何がだ? 永遠。」と始まる「永遠」や「最も高い塔の歌」「幸福」など、短く歌謡に近い後期の韻文が並ぶ。「追加篇」には「孤児等のお年玉」「太陽と肉体」「オフェリア」など初期の作品が補われ、附録には、小林秀雄が図書館などから写してきたという未発表詩「失はれた毒薬」を収める。後記で中也は、訳出の方針を述べたうえで、ランボーの思想を異教徒のそれと呼び、感性的な陶酔の全一性を夢みたことが、その急テンポな悲劇の一生の源であったと論じている。

冒頭部(原文より)

 感動 私はゆかう、夏の青き宵は 麦穂臑刺す小径の上に、小草を蹈みに 夢想家・私は私の足に、爽々しさのつたふを覚え、 吹く風に思ふさま、私の頭をなぶらすだらう! 私は語りも、考へもしまい、だが 果てなき愛は心の裡に、浮びも来よう 私は往かう、遠く遠くボヘミヤンのやう 天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。

「ランボオ詩集」ランボー(青空文庫)

末尾部(原文より)

 失はれた毒薬(未発表詩) ブロンドとまた褐の夜々、 思ひ出は、ああ、なくなつた、 夏の綾織はなくなつた、 手なれたネクタイ、なくなつた。 露台の上に茶は月が、 漏刻が来て、のんでゆく。 いかな思ひ出のいかな脣趾 ああ、それさへものこつてゐない。 青の綿布の帷幕の隅に 光れる、金の頭の針が 睡つた大きい昆虫のやう。 貴重な毒に浸されたその 細尖よ私に笑みまけてあれ、 私の臨終にいりようである!

「ランボオ詩集」ランボー(青空文庫)

名文

私はゆかう、夏の青き宵は 麦穂臑刺す小径の上に、小草を蹈みに 夢想家・私は私の足に、爽々しさのつたふを覚え、 吹く風に思ふさま、私の頭をなぶらすだらう!

詩集の巻頭に置かれた「感動」の第一連。夏の宵の小径を歩く少年の解放感を、中原中也が独特の言い回しで訳している。

また見付かつた。 何がだ? 永遠。 去つてしまつた海のことさあ 太陽もろとも去つてしまつた。

ランボーの「永遠」の第一連。問いと答えの短いやりとりで、海と太陽が溶け合う一瞬を永遠と呼ぶ。中也訳の口語の響きでよく知られる。

季節が流れる、城寨が見える、   無疵な魂なぞ何処にあらう?

「幸福」の冒頭。流れる季節と遠くの城を並べ、傷のない魂などないと問いかける。繰り返されるリフレインが印象深い一篇。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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