サフラン(森鴎外)のあらすじ・登場人物
名前だけ知っていた花の話
- 文字数
- 2,226字
- 読了目安
- 約4分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
1914年(大正3年)3月、雑誌「番紅花」の創刊号に載った短い随筆。幼い頃に蘭和辞書で出会った「サフラン」の名と、成人して初めて生の花を見、鉢に植えるまでの、花と筆者の関わりをたどる。末尾に「尾竹一枝君のために」と添えられている。名前ばかり先に知って物は知らないという読書好きの来歴や、鉢に水をやる自分の動機をみずから問う文章が、身近な草花の話に重ねられている。
あらすじ
筆者は子供の頃から本が好きで、名を知って物を知らない質になったと語る。父に習ったオランダ語の字書で「サフラン」の語に行き当たり、父が薬箪笥から出した干した花を見たのが最初の出会いだった。その後、二、三年前、団子坂へ帰る途中の道端で、球根から紫の花を咲かせたサフランが売られているのを見た。去年の十二月に白山下の花屋で球根を二つ買い、鉢に植えて書斎に置いた。花は二、三日で萎れたが、今年の一月になると、水もやらないのに緑の糸のような葉が出てきた。無情な主人も折々水をやるが、それは目を楽しませる利己心か、物を愛する利他心か、人の動機は容易に分からないと考える。結びで、サフランと自分の歴史はこれだけで、サフランはサフランの生存を、私は私の生存をしていくだろうと述べる。
冒頭部(原文より)
名を聞いて人を知らぬと云うことが随分ある。人ばかりではない。すべての物にある。 私は子供の時から本が好だと云われた。少年の読む雑誌もなければ、巌谷小波君のお伽話もない時代に生れたので、お祖母さまがおよめ入の時に持って来られたと云う百人一首やら、お祖父さまが義太夫を語られた時の記念に残っている浄瑠璃本やら、謡曲の筋書をした絵本やら、そんなものを有るに任せて見ていて、凧と云うものを揚げない、独楽と云うものを廻さない。隣家の子供との間に何等の心的接触も成り立たない。そこでいよいよ本に読み耽って、器に塵の附くように、いろいろの物の名が記憶に残る。そんな風で名を知って物を知らぬ片羽になった。大抵の物の名がそうである。植物の名もそうである。
「サフラン」森鴎外(青空文庫)
末尾部(原文より)
これはサフランと云う草と私との歴史である。これを読んだら、いかに私のサフランに就いて知っていることが貧弱だか分かるだろう。しかしどれ程疎遠な物にもたまたま行摩の袖が触れるように、サフランと私との間にも接触点がないことはない。物語のモラルは只それだけである。 宇宙の間で、これまでサフランはサフランの生存をしていた。私は私の生存をしていた。これからも、サフランはサフランの生存をして行くであろう。私は私の生存をして行くであろう。(尾竹一枝君のために。)
「サフラン」森鴎外(青空文庫)
名文
名を聞いて人を知らぬと云うことが随分ある。人ばかりではない。すべての物にある。
鴎外の随筆『サフラン』の書き出し。名前だけを知って実物を知らないという経験から、サフランとの小さな縁を語り始める。
宇宙の間で、これまでサフランはサフランの生存をしていた。私は私の生存をしていた。これからも、サフランはサフランの生存をして行くであろう。私は私の生存をして行くであろう。
『サフラン』の結び。草花と自分がそれぞれの生存を続けていくと静かに語る、鴎外の澄んだ諦観が感じられる一節である。
原文を読む
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