宣言一つ(有島武郎)のあらすじ・登場人物
第四階級への無縁の宣言
- 文字数
- 4,815字
- 読了目安
- 約10分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
有島武郎が1922年(大正11年)1月号の「改造」に発表した評論。社会問題の運動が学者や思想家の手を離れ、都会に生きる労働者、いわゆる「第四階級」自身の手に移ろうとしているという認識から出発し、それ以外の階級に生まれ育った自分は第四階級に何ひとつ寄与できないと言い切る。河上肇と交わした会話を率直に明かし、クロポトキンやマルクスの仕事、フランス革命やロシア革命の帰結にまで論を広げて、知識人が労働者の指導者を任じることの僭越を問う。発表後、広津和郎らとのあいだに論争を呼んだことで知られ、同じ年の有島の農場解放にも通じる、作者自身の立場の表明となっている。
あらすじ
筆者は、近ごろの日本で最も注目すべき現象として、社会問題の運動が学者や思想家の手を離れ、労働者、すなわち第四階級自身の手に移ろうとしていることを挙げる。口下手な労働者はこれまで代弁者に頼るほかなかったが、生活に根ざした実行こそが生活を改造するのであり、それは自分たちだけが持つものだと気づき始め、社会運動家や学者に猜疑の眼を向けるようになった。その動きはまだ幽かだが、日本にとってどんな事件よりも重大な事実だという。
筆者は河上肇と初めて会ったとき、哲学者や芸術家を過去の無能者とする河上の言葉に、労働者の生活をしていない学者も五十歩百歩だと応じた。いまの筆者は、河上も自分も第四階級とはまったく異なる圏内に生きる人間であり、第四階級には何ひとつ物を言ってなどいないのだと考える。クロポトキンやマルクスでさえ労働者そのものではなく、その功績は第四階級以外の階級に観念と覚悟を与えた点にある。思想家の説から起こった革命は、フランス革命が第三階級の利益に帰したように、当初の目的以外のところで止まってしまうだろう。
筆者は、第四階級以外の階級に生まれ育った自分は無縁の衆生の一人であり、新興階級者になることも、彼らのために弁じ立論することもできないと宣言する。自分の仕事は第四階級以外の人々に訴える仕事として終始するほかなく、労働文芸を唱える評論家の態度も採らない。階級闘争が現代生活の核心であるなら、労働者でない者が第四階級に何かを寄与できると思うのは僭越であると結ぶ。
冒頭部(原文より)
思想と実生活とが融合した、そこから生ずる現象――その現象はいつでも人間生活の統一を最も純粋な形に持ち来たすものであるが――として最近に日本において、最も注意せらるべきものは、社会問題の、問題としてまた解決としての運動が、いわゆる学者もしくは思想家の手を離れて、労働者そのものの手に移ろうとしつつあることだ。ここで私のいう労働者とは、社会問題の最も重要な位置を占むべき労働問題の対象たる第四階級と称せられる人々をいうのだ。第四階級のうち特に都会に生活している人々をいうのだ。
「宣言一つ」有島武郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
私は第四階級以外の階級に生まれ、育ち、教育を受けた。だから私は第四階級に対しては無縁の衆生の一人である。私は新興階級者になることが絶対にできないから、ならしてもらおうとも思わない。第四階級のために弁解し、立論し、運動する、そんなばかげきった虚偽もできない。今後私の生活がいかように変わろうとも、私は結局在来の支配階級者の所産であるに相違ないことは、黒人種がいくら石鹸で洗い立てられても、黒人種たるを失わないのと同様であるだろう。したがって私の仕事は第四階級者以外の人々に訴える仕事として始終するほかはあるまい。世に労働文芸というようなものが主張されている。またそれを弁護し、力説する評論家がある。彼らは第四階級以外の階級者が発明した文字と、構想と、表現法とをもって、漫然と労働者の生活なるものを描く。彼らは第四階級以外の階級者が発明した論理と、思想と、検察法とをもって、文芸的作品に臨み、労働文芸としからざるものとを選り分ける。私はそうした態度を採ることは断じてできない。 もし階級争闘というものが現代生活の核心をなすものであって、それがそのアルファでありオメガであるならば、私の以上の言説は正当になされた言説であると信じている。どんな偉い学者であれ、思想家であれ、運動家であれ、頭領であれ、第四階級な労働者たることなしに、第四階級に何者をか寄与すると思ったら、それは明らかに僭上沙汰である。第四階級はその人たちのむだな努力によってかき乱されるのほかはあるまい。
「宣言一つ」有島武郎(青空文庫)
原文を読む
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