柵草紙の山房論文(森鴎外)のあらすじ・登場人物
逍遙と闘った没理想論争
- 文字数
- 68,330字
- 読了目安
- 約2時間17分
- 表記
- 旧字旧仮名
この作品について
1891年(明治24年)9月から翌年6月にかけて、鴎外が自ら主宰する雑誌「柵草紙」に載せた評論の集まり。坪内逍遙の小説論・批評への長い反論で、逍遙の「没理想」の主張を取り上げ、ドイツ美学(ハルトマンの審美学)にもとづいて理想の必要を説く。のちに没理想論争と呼ばれる論戦の鴎外側の文章群で、「逍遙子の諸評語」「早稲田文学の没理想」「早稲田文学の没却理想」「逍遙子と烏有先生」「早稲田文学の後没理想」「エミル・ゾラが没理想」などの章からなる。文語体で、論敵を「逍遙子」と呼び、問答の形も取る。
あらすじ
「近刊の新聞雑誌のなかで論ずべき文を探した」という書き出しから、鴎外は千朶山房で、他の人が書いた文を論じる。最初の章「逍遙子の諸評語」では、逍遙の「小説三派」(固有派・折衷派・人間派)を取り上げ、その分類の巧みさを認めつつ、帰納の批評を標榜する逍遙が標準を持たずにはいられないことを論じる。続く「早稲田文学の没理想」「没却理想」では、逍遙が掲げる「没理想」の語の意味を、形而上学や審美学の立場から検討し、理想なしに批評は成り立たないと反論する。「逍遙子と烏有先生」は問答の形で論を進め、「後没理想」では「没理想の由来」を追いつつ、逍遙の主張に再度反撃を加える。最後の「エミル・ゾラが没理想」では、ゾラの自然主義を論じて、造化(自然)と美術の関係を考え、逍遙の自然主義と比べる。
冒頭部(原文より)
我に問ふ、何故に久しく文を論ぜざるかと。我は反問せむとす、何故に久しく論ずべき文を出さゞるかと。我が文學上の評論をなさんといひし誓は、今やいたづら事になりなむとす。其咎果して誰が上にか歸すべき。 露伴子はその著當世外道の面に於いて、柔弱者の口を藉りて我に戲れていはく。鴎外は技術論者にして、唯學校教師たるに適すと。是言善く我病に中れり。然れども今の世のありさまは、文を論ずる人に理を説かしむるを奈何せむ。こはわれ一人の上にはあらじ。
「柵草紙の山房論文」森鴎外(青空文庫)
末尾部(原文より)
近頃我國にて造化を以て美術を説かむと試みし人は、前に撫象子あり、後に逍遙子あり。撫象子が自然主義は沒理想に非ずして有理想なり。その極致は古の希臘人に似て善と美とを併せたるものなり。さればおなじく自然といひ、造化といへど、ゾラが自然は弱肉強食の自然なるに、撫象子が造化は蝶舞ひ鳥歌ふ造化なり。逍遙子が自然主義は則ちこれに反す。その沒理想の造化は酷だゾラが造化に肖たり。されば逍遙子とゾラとは共に客觀を揚げて主觀を抑へ、叙事の間に評をむことを嫌ひたり、逍遙子戲曲の文を以て讀者の思傲し次第にていかやうにも見ゆるものとなしてこれを尊めば、ゾラは小説の文を以て利害を問ふべからざる事實となしてこれを庇ふ。これ等の處を細に比べ論ぜば、いとおもしろかるべけれど、また折もあらむとおもひて止みぬ。
「柵草紙の山房論文」森鴎外(青空文庫)
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