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曙覧の歌(正岡子規)のあらすじ・登場人物

埋もれた歌人曙覧を見出す

正岡子規 1899年(明治32年)3月 「日本」

文字数
12,620字
読了目安
約25分
表記
新字新仮名

この作品について

正岡子規が江戸末期の歌人・橘曙覧の歌集を紹介し評価した論稿。俊頼・文雄・曙覧の三家を勧められて読んだ経緯から、曙覧だけが尋常の歌集ではなかったとし、『万葉』を学んで『万葉』を脱し、日常の細事を縦横に詠む姿を称える。曙覧再評価のきっかけとなった文章として知られる。

あらすじ

子規はまず、ある人に勧められて源俊頼の『散木弃歌集』、井上文雄の『調鶴集』、橘曙覧の『志濃夫廼舎歌集』を見た経緯を述べる。前の二つにはいくらか珍しい語を用いるほかに何の珍しさもなく失望したが、曙覧の集を見て初めて尋常の歌集ではないと知ったという。その歌は『古今』『新古今』の陳套に堕ちず、真淵、景樹の臼にも陥らず、『万葉』を学んで『万葉』を脱し、瑣事俗事を捕えて縦横に馳駆しながら、かえって高雅蒼老で俗気を帯びない。題目も風月の虚飾を貴ばず、胸臆を直ちに詠む点に識見の高さがある。世人は俊頼や文雄の名を知るのに曙覧の名すら知らない、と嘆く。連載の終わりには、曙覧の子息から資料を示されたとして、小伝を添え、歌と伝を照らし合わせて曙覧翁の姿を眼前に見てほしいと結ぶ。

冒頭部(原文より)

 余の初め歌を論ずる、ある人余に勧めて俊頼集、文雄集、曙覧集を見よという。それかくいうは三家の集が尋常歌集に異なるところあるをもってなり。まず源俊頼の『散木弃歌集』を見て失望す。いくらかの珍しき語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。次に井上文雄の『調鶴集』を見てまた失望す。これも物語などにありて普通の歌に用いざる語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。最後に橘曙覧の『志濃夫廼舎歌集』を見て始めてその尋常の歌集に非ざるを知る。その歌、『古今』『新古今』の陳套に堕ちず真淵、景樹の臼に陥らず、『万葉』を学んで『万葉』を脱し、鎖事俗事を捕え来りて縦横に馳駆するところ、かえって高雅蒼老些の俗気を帯びず。ことにその題目が風月の虚飾を貴ばずして、ただちに自己の胸臆をくもの、もって識見高邁、凡俗に超越するところあるを見るに足る。しこうして世人は俊頼と文雄を知りて、曙覧の名だにこれを知らざるなり。

「曙覧の歌」正岡子規(青空文庫)

末尾部(原文より)

 これを要するに曙覧の歌は『万葉』に実朝に及ばざること遠しといえども、貫之以下今日に至る幾百の歌人を圧倒し尽せり。新言語を用い新趣向を求めたる彼の卓見は歌学史上特筆して後に伝えざるべからず。彼は歌人として実朝以後ただ一人なり。真淵、景樹、諸平、文雄輩に比すれば彼は鶏群の孤鶴なり。歌人として彼を賞賛するに千言万語を費すとも過賛にはあらざるべし。しかれども彼の和歌をもってこれを俳句に比せんか。彼はほとんど作家と称せらるるだけの価値をも有せざるべし。彼が新言語を用うるに先だつ百四、五十年前に芭蕉一派の俳人は、彼が用いしよりも遥かに多き新言語を用いたり。彼の歌想は他の歌想に比して進歩したるところありとこそいうべけれ、これを俳句の進歩に比すれば未だその門墻をも覗い得ざるところにあり。俳人の極めて幼稚なるものといえども、趣味の多様なることは曙覧の歌のわずかに新奇ならんとせしがごときに非ず。曙覧をして俳人ならしめば、ほとんどその名だに伝うるあたわざりしなるべし。いわんや彼は全く調子を解せざるをや。しかるにかくのごとき曙覧をも古来有数の歌人として賞せざるべからざる歌界の衰退は、あわれにも気の毒の次第と謂わざるべからず。余は曙覧を論ずるに方りて実にその褒貶に迷えり。もしそれ曙覧の人品性行に至りては磊々落々世間の名利に拘束せられず、正を守り義を取り俯仰天地に愧じざる、けだし絶無僅有の人なり。 この稿を草する半にして、曙覧翁の令嗣今滋氏特に草廬を敲いて翁の伝記及び随筆等を示さる。因って翁の小伝を掲げて読者の瀏覧に供せんとす。歌と伝と相照し見ば曙覧翁眼前にあらん。 竹の里人付記 〔『日本』明治三十二年四月二十三日〕

「曙覧の歌」正岡子規(青空文庫)

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