死後(正岡子規)のあらすじ・登場人物
死を見つめて煩悶を解く
- 文字数
- 6,756字
- 読了目安
- 約14分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
病床にあった正岡子規が、死をどう感じるかを分析した随筆。死を主観的に感じる恐ろしさと客観的に感じる穏やかさを区別し、棺に入れられる窮屈さといった具体的な不安を、ユーモアを交えて解きほぐしていく。冷静に自分の死を見つめた子規の思索が読み取れる。
あらすじ
人間は皆いずれ死ぬと知っているが、それを強く感じる人とそうでない人がいる、という問いから始まる。長い病床にある子規は、死を考える機会も暇も多く、死の感じ方には主観的なものと客観的なものがあると整理する。主観的に感じるとは自分がいま死ぬように感じることで、甚だ恐ろしい。そこから子規は、棺の中でどんな詰め物をするのかという気がかりに話を進め、樒の葉が死人の頬に触れる不快、花で詰める西洋の習慣、スコットランドのバラッドに出る幽霊の問答などを取り上げる。繰り返し考えるうちに、早桶の中でも窮屈ではないと思い至り、それまでの煩悶が跡形もなく消えて、すがすがしい心持ちになったと語る。冬になり痛みは増したが、頭は夏より冴えている、という近況で終わる。
冒頭部(原文より)
人間は皆一度ずつ死ぬるのであるという事は、人間皆知って居るわけであるが、それを強く感ずる人とそれ程感じない人とがあるようだ。或人はまだ年も若いのに頻りに死という事を気にして、今夜これから眠ったらばあしたの朝は此儘死んでいるのではあるまいかなどと心配して夜も眠らないのがある。そうかと思うと、死という事に就て全く平気な人もある。君も一度は死ぬるのだよ、などとおどかしても耳にも聞こえない振りでいる。要するに健康な人は死などという事を考える必要も無く、又暇も無いので、唯夢中になって稼ぐとか遊ぶとかしているのであろう。
「死後」正岡子規(青空文庫)
末尾部(原文より)
去年の夏も過ぎて秋も半を越した頃であったが或日非常な心細い感じがして何だか呼吸がせまるようで病牀で独り煩悶していた。此時は自己の死を主観的に感じたので、あまり遠からん内に自分は死ぬるであろうという念が寸時も頭を離れなかった。斯ういう時には誰れか来客があればよいと待っていたけれど生憎誰れも来ない。厭な一昼夜を過ごしてようよう翌朝になったが矢張前日の煩悶は少しも減じないので、考えれば考える程不愉快を増す許りであった。然るにどういうはずみであったか、此主観的の感じがフイと客観的の感じに変ってしまった。自分はもう既に死んでいるので小さき早桶の中に入れられておる。其早桶は二人の人夫にかかれ二人の友達に守られて細い野路を北向いてスタスタと行っておる。其人等は皆脚袢草鞋の出立ちでもとより荷物なんどはすこしも持っていない。一面の田は稲の穂が少し黄ばんで畦の榛の木立には百舌鳥が世話しく啼いておる。早桶は休みもしないでとうとう夜通しに歩いて翌日の昼頃にはとある村へ着いた。其村の外れに三つ四つ小さい墓の並んでいる所があって其傍に一坪許りの空地があったのを買い求めて、棺桶は其辺に据えて置いて人夫は既に穴を掘っておる。其内に附添の一人は近辺の貧乏寺へ行て和尚を連れて来る。やっと棺桶を埋めたが墓印もないので手頃の石を一つ据えてしまうと、和尚は暫しの間廻向して呉れた。其辺には野生の小さい草花が沢山咲いていて、向うの方には曼珠沙華も真赤になっているのが見える。人通りもあまり無い極めて静かな瘠村の光景である。附添の二人は其夜は寺へ泊らせて貰うて翌日も和尚と共にかたばかりの回向をした。和尚にも斎をすすめ其人等も精進料理を食うて田舎のお寺の座敷に坐っている所を想像して見ると、自分は其場に居ぬけれど何だかいい感じがする。そういう具合に葬むられた自分も早桶の中であまり窮屈な感じもしない。斯ういう風に考えて来たので今迄の煩悶は痕もなく消えてしもうてすがすがしいええ心持になってしもうた。 冬になって来てから痛みが増すとか呼吸が苦しいとかで時々は死を感ずるために不愉快な時間を送ることもある。併し夏に比すると頭脳にしまりがあって精神がさわやかな時が多いので夏程に煩悶しないようになった。
「死後」正岡子規(青空文庫)
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