ベースボール(正岡子規)のあらすじ・登場人物
子規が語る草創期の野球入門
- 文字数
- 5,241字
- 読了目安
- 約10分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
野球をこよなく愛した正岡子規が、新聞「日本」に連載したベースボールの解説。日本への伝来の経緯から、ルール、守備位置、攻守のやり方、観戦の心得までを、当時まだなじみの薄かった読者にわかりやすく述べる。「打者」「走者」「四球」などの訳語を子規が創案したことでも知られ、野球史の資料としても読まれる。
あらすじ
冒頭は、第一高等学校と横浜在住の米国人との試合以来、ベースボールという語が世間の耳に入るようになったが、その実態はほとんど知られていないという現状認識から始まる。子規はこの競技を米国の国技と紹介し、新橋鉄道局を経て東京大学予備門に伝わったとされる来歴を、伝聞を交えて記す。続いて九人ずつの二組で行うこと、投手・捕手・内野手・外野手の役割、打撃と走塁、アウトとセーフの決まりを順に説明し、図や用語の訳語も添える。最後に観戦する人への注意として、危険を避けるため捕手の左右か後方で見るのがよいと述べる。ベースボールにはまだ決まった訳語がなく、ここに掲げた訳語は自分の創意で、不適当なら正してほしいという附記で終わる。
冒頭部(原文より)
○ベースボール に至りてはこれを行う者極めて少くこれを知る人の区域も甚だ狭かりしが近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合ありしより以来ベースボールという語ははしなく世人の耳に入りたり。されどもベースボールの何たるやはほとんどこれを知る人なかるべし。ベースボールはもと亜米利加合衆国の国技とも称すべきものにしてその遊技の国民一般に賞翫せらるるはあたかも我邦の相撲、西班牙の闘牛などにも類せりとか聞きぬ。(米人のわれに負けたるをくやしがりて幾度も仕合を挑むはほとんど国辱とも思えばなるべし)この技の我邦に伝わりし来歴は詳かにこれを知らねどもあるいはいう元新橋鉄道局技師(平岡という人か)米国より帰りてこれを新橋鉄道局の職員間に伝えたるを始とすとかや。(明治十四、五年の頃にもやあらん)それよりして元東京大学(予備門)へ伝わりしと聞けどいかがや。また同時に工部大学校、駒場農学校へも伝わりたりと覚ゆ。東京大学予備門は後の第一高等中学校にして今の第一高等学校なり。明治十八、九年来の記憶に拠れば予備門または高等中学は時々工部大学、駒場農学と仕合いたることあり。また新橋組と工部と仕合いたることもありしか。その後青山英和学校も仕合に出掛けたることありしかど年代は忘れたり。されば高等学校がベースボールにおける経歴は今日に至るまで十四、五年を費せりといえども(もっとも生徒は常に交代しつつあるなり)ややその完備せるは二十三、四年以後なりとおぼし。これまでは真の遊び半分という有様なりしがこの時よりやや真面目の技術となり技術の上に進歩と整頓とを現せり。少くとも形式の上において整頓し初めたり。すなわち攫者が面と小手(撃剣に用うる面と小手のごとき者)を着けて直球を攫み投者が正投を学びて今まで九球なりし者を四球(あるいは六球なりしか)に改めたるがごときこれなり。次にその遊技法につきて多少説明する所あるべし。(七月十九日)
「ベースボール」正岡子規(青空文庫)
末尾部(原文より)
○ベースボールの特色 競漕競馬競走のごときはその方法甚だ簡単にして勝敗は遅速の二に過ぎず。故に傍観者には興少し。球戯はその方法複雑にして変化多きをもって傍観者にも面白く感ぜらる。かつ所作の活溌にして生気あるはこの遊技の特色なり、観者をして覚えず喝采せしむる事多し。但しこの遊びは遊技者に取りても傍観者に取りても多少の危険を免れず。傍観者は攫者の左右または後方にあるを好しとす。 ベースボールいまだかつて訳語あらず、今ここに掲げたる訳語はわれの創意に係る。訳語妥当ならざるは自らこれを知るといえども匆卒の際改竄するに由なし。君子幸に正を賜え。 升 附記 (七月二十七日)
「ベースボール」正岡子規(青空文庫)
原文を読む
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