古池の句の弁(正岡子規)のあらすじ・登場人物
古池の句に深い意味などない
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- 13,596字
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- 約27分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」は、一句の表面の意味のほかに深遠な意味などない、と論じた正岡子規の評論。客との問答の形で、神秘化された名句を歴史的な文脈から読み直し、芭蕉の句の評価そのものを問い直す。芭蕉を偶像化する俗宗匠への批判として知られる。
あらすじ
一人の客が子規の草庵を訪ね、古今の傑作として誰もが知るこの句の意義を説明してほしいと頼むところから始まる。子規は、古池の句の意義は表面に現れただけで他にはなく、俗宗匠が深遠な意味があるように言いなして俗人を欺くのは、自分の本尊を奥ゆかしがらせる目的と、この句の歴史的関係を知らないことによると答える。続いて、この句が評判になった経緯を検討し、その新しさを歴史の中に位置づける。最後は、芭蕉自身が古池以後のどの句も我が句として伝えたいと誇ったように、古池だけを揚げるのは芭蕉も不満だろうと述べ、自分たちも古池を佳句とは思わず、他に佳句が多いと信じると語る。客は頷いて去る。
冒頭部(原文より)
客あり。我草廬を敲きて俳諧を談ず。問ふて曰く。 古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉 の一句は古今の傑作として人口に膾炙する所、馬丁走卒もなほかつこれを知る。しかもその意義を問へば一人のこれを説明する者あるなし。今これが説明を聴くを得んか。
「古池の句の弁」正岡子規(青空文庫)
末尾部(原文より)
といへり。「その後百千の句を吐くにこの意ならざるはなし」とは、古池の句と共に感得せし自然的趣味によりて一生俳句を作りたりとの意なり。芭蕉が古池の句を蕉風の境界線と為ししは自ら明言する所なれども、芭蕉はこの句を以て自家集中第一等の句なりとは言はず、芭蕉の爾か言はざるのみならず、門弟もまた爾か言はず、去来は最も深く芭蕉に教へられし者なれども、古池の句につきて何をも言はず。支考の如く芭蕉を本尊にして自説を誇張する者すら、(『十論』の引例に出だしたる外)古池の句を批評したることなし。しかるにいつの頃よりかこの句を無上の佳句なるが如く言ひなし、はては不可思議なる説をなす者加はりて、その広く世間に知らるると共に一般に誤解せらるるに至りたり。芭蕉は自ら、古池以後いづれの句も皆我句として人に伝ふべしとさへ誇れるに、後人が特に古池の一句を揚ぐるを聞かば、芭蕉は必ず不満なるべし。余らもまた古池を以て芭蕉の佳句と思はず、否、古池以外に多くの佳句あるを信ずるなり。客、頷して去る。 (明治三十一年十月―十一月)
「古池の句の弁」正岡子規(青空文庫)
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