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書記官(川上眉山)のあらすじ・登場人物

出世を望む男と理想の男

  • 社会

川上眉山 1895年(明治28年)2月 「太陽」

文字数
18,182字
読了目安
約36分
表記
新字新仮名
種別
小説

この作品について

川上眉山が1895年(明治28)に『太陽』へ発表した小説。社会の矛盾を主題とする「観念小説」の一つに数えられる。官界で立身を図る書記官・奥村辰弥と、清貧を守る東条綱雄という対照的な二人が、資産家の令嬢をめぐって交わる。出世主義の世相に対し、理想をどう守るかが問われる。硯友社出身の作家の、社会批評に傾いた時期の作である。

あらすじ

病後の療養に那須の温泉宿「梅屋」を訪れた、ある省の書記官・奥村辰弥は、立派な髭と派手な扮装をまとい、如才ない社交で人の心をつかむ、いかにも売り出しの俗物である。同じ宿に逗留する資産家の老人・三好善平と、その秘蔵の末娘で美しい令嬢の光代に近づいた辰弥は、たちまち「美しき獲物」「資産家もまた妙ならずや」と、娘と財産の両方に舌なめずりする。だが光代の心は、去年哲学の学位を得たばかりの清貧の学者・東条綱雄にあった。若く気高く、世渡りには不器用な綱雄を、辰弥は「空理に一生を葬る馬鹿者」と冷笑し、綱雄もまた辰弥を「浮世の波に漂う哀れな俗物」と見下す。

やがて辰弥は、木島鉱山の払い下げをめぐる利権に暗躍する。閣令の草案を事前に手に入れて善平に流し、鉱山の払い下げを勝ち取らせる見返りに、辰弥は最後の褒美として光代を要求する——「お貰い申しましたよ」。世間体を重んじ書記官の官位に目のくらんだ善平は、世事に疎い綱雄との縁談を一方的に破談にし、光代を辰弥に与えてしまう。綱雄をひそかに訪ねた光代は行き違いに会えず、泣くばかりであった。

その後のことは語られない。辰弥は近ごろ妻を迎えたという——その妻は誰か。一方、ある書斎の奥には、この後の半生を一大哲理の研究に捧げようと、世俗のわずらいをちりあくたのなかへ投げ捨てた人がいるという——その人は誰か。立身出世の醜さと、敗れて世を捨てる理想とを、余韻をもって対比してみせる観念小説である。

冒頭部(原文より)

     一  笆に媚ぶる野萩の下露もはや秋の色なり。人々は争うて帰りを急ぎぬ。小松の温泉に景勝の第一を占めて、さしも賑わい合えりし梅屋の上も下も、尾越しに通う鹿笛の音に哀れを誘われて、廊下を行き交う足音もやや淋しくなりぬ。車のあとより車の多くは旅鞄と客とを載せて、一里先なる停車場を指して走りぬ。膳の通い茶の通いに、久しく馴れ睦みたる婢どもは、さすがに後影を見送りてしばし佇立めり。前を遶る渓河の水は、淙々として遠く流れ行く。かなたの森に鳴くは鶇か。

「書記官」川上眉山(青空文庫)

末尾部(原文より)

 ほかではありませぬ。とにっこと打ち笑みて辰弥は突き入りぬ。この間、それ、謎のようなことを申した、あの光代様さ。懇望しているのは大抵お察しでしょう。ようございますか。お貰い申しましたよ。      *    *    *  われはこの後のことを知らず。辰弥はこのごろ妻を迎えしとか。その妻は誰なるらん。とある書窓の奥にはまた、あわれ今後の半生をかけて、一大哲理の研究に身を投じ尽さんものと、世故の煩を将って塵塚のただ中へ投げ捨てたる人あり。その人は誰なるらん。荻の上風、桐は枝ばかりになりぬ。明日は誰が身の。

「書記官」川上眉山(青空文庫)

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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