夜行巡査(泉鏡花)のあらすじ・登場人物
冬の街で問われる規則と情
- 恋愛
- 社会
- 文字数
- 10,866字
- 読了目安
- 約22分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
1895年(明治28年)4月、『文芸倶楽部』に発表された泉鏡花の短編小説。同年の『外科室』とともに、鏡花が作家として認められるきっかけとなった。冬の東京、麹町のお堀端を巡回する八田義延は、服装の整わない老車夫にも厳しく規則を適用する巡査である。物語は、その叱責に居合わせた人々の会話から始まり、街の貧しさと職務に徹する男の姿を照らし合わせる。整然とした歩き方、鋭い視線、暗い道を進む角灯の光が、八田の人物像を目に見える形で示している。硬い調子の地の文に、車夫や町の人々の生き生きした口調を取り合わせた文章も特徴である。人を守るための規則と、一人ひとりの生活への配慮はどう結びつくのか。幻想的な物語とは異なる都市の夜景を通して、制度と人情の隔たりに目を向けた鏡花初期の一編である。
あらすじ
夜更けの麹町を巡回する八田義延巡査は、股引もなく震える老車夫を叱りつけ、寒空に幼子を抱いて眠る貧しい母親をも情け容赦なく追い立てる、規則に厳格な男である。折しも堀端では、酔った老人が姪のお香を連れて歩きながら、かつてお香の母を奪われた恨みから、お香と八田の仲を認めぬ因業な胸のうちを語って聞かせていた。八田こそはお香が思いを寄せる相手であり、その言葉は少し離れた場所を巡回する八田の耳にも届いていた。堪えかねたお香が土手から身を投げようとした拍子に、追いすがった老人が誤って堀へ転落する。駆け寄った八田にお香がすがりつくが、八田は職務を理由にお香を突き放し、泳ぎを知らぬ身のまま老人を救うべく凍える堀に身を投じ、お香を残してその生命を老人とともに失うのだった。
登場人物
- 八田義延 規則に厳格な巡査。お香を愛しながらも職務を理由に身を捨てる本作の主人公
- お香 八田を慕う若い女性。伯父から二人の仲を裂かれ続けている
- 伯父 お香の後見人である盲目の老人。かつて奪われたお香の母への未練から二人の仲を認めない
- 老車夫 夜更けに八田から些細な過失を厳しく咎められる貧しい車夫
冒頭部(原文より)
「こう爺さん、おめえどこだ」と職人体の壮佼は、そのかたわらなる車夫の老人に向かいて問い懸けたり。車夫の老人は年紀すでに五十を越えて、六十にも間はあらじと思わる。餓えてや弱々しき声のしかも寒さにおののきつつ、「どうぞまっぴら御免なすって、向後きっと気を着けまする。へいへい」と、どぎまぎして慌ておれり。
「夜行巡査」泉鏡花(青空文庫)
末尾部(原文より)
「放さんか!」決然として振り払えば、力かなわで手を放てる、咄嵯に巡査は一躍して、棄つるがごとく身を投ぜり。お香はハッと絶え入りぬ。あわれ八田は警官として、社会より荷える負債を消却せんがため、あくまでその死せんことを、むしろ殺さんことを欲しつつありし悪魔を救わんとして、氷点の冷、水凍る夜半に泳ぎを知らざる身の、生命とともに愛を棄てぬ。後日社会は一般に八田巡査を仁なりと称せり。ああはたして仁なりや、しかも一人の渠が残忍苛酷にして、恕すべき老車夫を懲罰し、憐むべき母と子を厳責したりし尽瘁を、讃歎するもの無きはいかん。
「夜行巡査」泉鏡花(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。