紫陽花(泉鏡花)のあらすじ・登場人物
炎天に黒く染まる氷
- 幻想
- 文字数
- 2,648字
- 読了目安
- 約5分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
この作品について
文語調で語られる、ごく短い幻想の掌編。真夏の野中の社の前、氷を売り歩く少年のもとへ、供を連れた気高い貴女が現れる。氷の色をめぐる小さなやりとりが、少年のひたむきさと、貴女の不思議なふるまいを際立たせる。紫陽花の咲く小川が、美しい場面の背景になる。
あらすじ
色青く光る蛇が多いというので里人も近寄らない野の社には、片目の老人がいる。六月の中旬、日照りの続く昼下がりに、十歳ばかりの美少年が氷を担いで売り歩き、その社の前で立ち止まった。社の裏から現れた貴女が、腰元に傘を差しかけさせて、少し分けてほしいと言う。少年は氷を鋸で削るが、継母が炭を挽いたままの鋸を持たせたため、氷は真っ黒になってしまう。貴女は「きれいなのでなくては」と何度も断り、少年は削り直しても炭で汚れるばかりである。ついに残りの氷をすべて差し出すが、それも拒まれて砕け散ると、少年は貴女の手を握り、小川のほとりへ引いていった。紫陽花の咲く流れに氷を浸して洗うと、黒い粉は流れ、水晶のように透きとおった小さな氷が掌に残る。「これでいいかえ」と震える声で少年が言うと、貴女は蒼ざめて苦しみ、腰元に抱かれて倒れ込む。少年が口許に氷を運ぶと、貴女はうっとりと目を開き、うなずいて、それを飲み下した。
登場人物
- 少年 氷を売り歩く十歳ほどの美少年。継母に炭挽きの鋸を持たされている
- 貴女 社の裏から現れた高貴な婦人
- 腰元 貴女に傘を差しかけて付き添う若い侍女
冒頭部(原文より)
色青く光ある蛇、おびたゞしく棲めればとて、里人は近よらず。其野社は、片眼の盲ひたる翁ありて、昔より斉眉けり。 其片眼を失ひし時一たび見たりと言ふ、几帳の蔭に黒髪のたけなりし、それぞ神なるべき。 ちかきころ水無月中旬、二十日余り照り続きたる、けふ日ざかりの、鼓子花さへ草いきれに色褪せて、砂も、石も、きら/\と光を帯びて、松の老木の梢より、糸を乱せる如き薄き煙の立ちのぼるは、木精とか言ふものならむ。おぼろ/\と霞むまで、暑き日の静さは夜半にも増して、眼もあてられざる野の細道を、十歳ばかりの美少年の、尻を端折り、竹の子笠被りたるが、跣足にて、「氷や、氷や。」
「紫陽花」泉鏡花(青空文庫)
末尾部(原文より)
「堪忍おし、坊や、坊や。」とのみ、言ふ声も絶え入りぬ。 呆れし少年の縋り着きて、いまは雫ばかりなる氷を其口に齎しつ。腰元腕をゆるめたれば、貴女の顔のけざまに、うつとりと目をき、胸をおしたる手を放ちて、少年の肩を抱きつゝ、ぢつと見てうなづくはしに、がつくりと咽喉に通りて、桐の葉越の日影薄く、紫陽花の色、淋しき其笑顔にうつりぬ。
「紫陽花」泉鏡花(青空文庫)
原文を読む
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