上海(横光利一)のあらすじ・登場人物
動乱前夜の上海に漂う男女
- 社会
- 恋愛
- 文字数
- 145,681字
- 読了目安
- 約4時間51分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
横光利一の最初の長編小説。1928年(昭和3)4月に約一か月上海に滞在した体験をもとに、同年11月の「改造」に「風呂と銀行」を発表し、1931年まで同誌に断続的に書き継いだ。1932年に改造社から『上海』として刊行され、1935年には全編を改稿した決定版が書物展望社から出た。舞台は1925年、五・三〇事件前後の国際都市上海。銀行の専務の不正を知りながら働く参木と、シンガポールから材木の商いに来た友人甲谷を軸に、トルコ風呂の湯女、ダンスホールの踊り子、ロシア人の亡命者、アジア主義者、中国人の運動家などが入り乱れる。決定版の序で作者は、人物よりも外界の運動体としての海港を描こうとしたと記している。新感覚派の比喩を極めた文体で、群衆と市場、紡績工場の動きを描き出す。
あらすじ
上海の日本人銀行員参木は、専務の使い込みを知りながら預金の穴を帳簿で取り繕う日々に倦み、死の誘惑に惹かれている。幼なじみの甲谷がシンガポールから材木の商いと嫁探しに来て、二人はトルコ風呂に通う。参木は湯女のお杉をからかったために、嫉妬した女主人お柳がお杉を解雇し、参木は行き場のないお杉を自宅に置く。その夜、暗がりでお杉を奪ったのが参木か甲谷か、お杉自身にもわからない。参木も銀行を首になり、アジア主義者の山口の家に身を寄せ、山口が囲うロシア人オルガの相手をさせられる。甲谷はダンスホールの踊り子宮子に夢中になるが、宮子は外国人たちに囲まれて甲谷を相手にしない。参木は甲谷の兄高重の紹介で東洋綿糸会社に職を得、工場で働く中国人女性芳秋蘭に出会う。秋蘭は共産党の運動家だった。工場の暴動で倒れた秋蘭を参木は群衆の下からかばい出し、二人は語り合うが、参木は自分はマルキストのように世界の一員だとは思えない日本人だと語る。日本人経営の工場で高重らの撃った弾丸が中国人工人を傷つけ、反日の動きはストライキから市街戦、罷市へと広がっていく。参木は街頭で秋蘭と再会して接吻を受けるが、彼女はもう会えないと告げて去る。一方、お杉は参木の家を出て、春婦になっていた。混乱の街で、参木は中国人たちに河の汚物船へ投げ込まれ、這い上がって、甲谷に教えられたお杉の家を訪ねる。暗がりの中でお杉は灯をつけずに参木を迎え、参木はお杉を抱きながら秋蘭の幻を見る。お杉は、陸戦隊が上陸して騒動が収まれば参木はもう来ないだろうと思い、暗闇を見つめ続ける。
登場人物
- 参木 上海の日本人銀行員。専務の不正を知りながら働き、甲谷の妹競子を愛している
- 甲谷 参木の幼なじみ。シンガポールの材木会社の社員で、上海に商いと嫁探しに来る
- お杉 トルコ風呂の湯女。参木のために暇を出される
- お柳 トルコ風呂の女主人
- 宮子 ダンスホールの踊り子。外国人の客に囲まれている
- 芳秋蘭 日本人経営の紡績工場で働く中国人女性。共産党の運動家
- 高重 甲谷の兄。紡績会社の工場に勤める
- 山口 アジア主義者の建築師
- オルガ 山口が囲うロシア人の女
冒頭部(原文より)
一 〔昭和十年〕 一 満潮になると河は膨れて逆流した。測候所のシグナルが平和な風速を示して塔の上へ昇っていった。海関の尖塔が夜霧の中で煙り始めた。突堤に積み上げられた樽の上で、苦力たちが湿って来た。鈍重な波のまにまに、破れた黒い帆が傾いてぎしぎし動き出した。白皙明敏な中古代の勇士のような顔をしている参木は、街を廻ってバンドまで帰って来た。波打際のベンチにはロシヤ人の疲れた春婦たちが並んでいた。
「上海」横光利一(青空文庫)
末尾部(原文より)
――しかし、明日から、もし陸戦隊が上陸して来て街が鎮まれば、またあの日のように、自分はここでぼんやりとし続けていなければならぬのだろう。そのときには、ああ、またあのざらざらした鮫肌や、くさい大蒜の匂いのした舌や、べったり髪にくっついた油や、長い爪や、咬みつく尖った乱杭歯やが――と思うと、もう彼女はあきらめきった病人のように、のびのびとなってしまって天井に拡っている暗の中をいつまでも眺めていた。
「上海」横光利一(青空文庫)
名文
満潮になると河は膨れて逆流した。測候所のシグナルが平和な風速を示して塔の上へ昇っていった。海関の尖塔が夜霧の中で煙り始めた。
横光利一『上海』(1928〜31年連載)の書き出し。短い文を重ね、人物より先に河や塔や霧の動きで租界の港町を描く。新感覚派の手法が長篇で結実した、映像的な冒頭として知られる。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。