横光利一の生涯と代表作
言葉に新感覚
- 生没
- 1898–1947
- 出身
- 福島県
- 文学史
- 新感覚派
- Wikipedia
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略歴
1898年(明治31年)、福島県会津生まれ。早稲田大学英文科を中退し、菊池寛に見出されて師事、1923年(大正12年)「日輪」「蠅」で文壇に登場した。川端康成らと雑誌「文藝時代」を創刊し、鋭敏な感覚による斬新な比喩表現で既成の写実主義に挑む「新感覚派」の中心的存在となる。1930年(昭和5年)発表の「機械」で人間心理の内側を凝視する新心理主義的な作風を確立し、「文学の神様」と称された。のちに欧州視察を経て大作「旅愁」の執筆に取り組むが未完に終わる。戦時下の言論活動により戦後は戦争責任を問われ、失意のうちに1947年(昭和22年)、胃潰瘍穿孔のため49歳で死去した。長編「上海」では国際都市の労働や民族の対立を描き、感覚的な表現を社会的な舞台へ広げた。1935年の「純粋小説論」では、純文学と通俗小説の双方を視野に入れた小説の可能性を論じた。短編の文体実験にとどまらず、長編の構成や読者との関係にも取り組んだ作家である。