微笑(横光利一)のあらすじ・登場人物
天才青年のこの世ならぬ微笑
- 心理
- 文字数
- 24,911字
- 読了目安
- 約50分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
横光利一の遺作として、没後の1948年(昭和23年)、雑誌「人間」に発表された短編小説。晩年の傑作とされる。敗色濃い戦争末期、作家・梶のもとに現れた、海軍に引き抜かれた数学の天才青年・栖方。戦局を一挙にくつがえす発明を完成間近だという彼の、この世ならぬ美しい「微笑」をめぐって、天才と狂気、真実と幻影、そして戦争のはざまに生きる人間の心を、横光が凝視した一編である。
あらすじ
空襲直前の、新緑のころ。戦局は全面的に日本の敗色へ傾いている。作家・梶のもとへ、知人の俳人・高田が、色紙を書いてほしいという一人の青年の依頼を持ちこむ。青年の名は栖方、まだ二十一歳の帝大生でありながら、異常な数学の天才で、いまは横須賀の海軍に研究生として引き抜かれているという。しかも彼は、これさえ完成すれば勝利は絶対確実だといわれる、凄まじい光線兵器の発明を仕上げつつあるらしい。誰もが明るい噂に飢えていた時代、梶もまた、祖国を敗亡から救うかもしれぬ「巨人」の出現に、抗いがたく心を動かされる。やがて梶の前に現れた栖方は、まだ少年の面影を残す腕白な青年だった。彼が浮かべる、ぱっと花の咲くような、赤児が初めて笑うような、消えやすく無邪気な「微笑」――その真似手のない美しさの前では、発明が真実か妄想かという疑いさえ、どうでもよくなってしまう。栖方の発明は本物なのか、それとも敗戦間際の狂気の幻か。真実と幻影の境をたゆたいながら、梶は、あの美しい微笑を「人の心を殺す光線」のようだと思う。天才と狂気、戦争と人間の心のありようを、横光が晩年の澄んだ凝視でとらえた遺作である。
登場人物
- 梶 作家。海軍に引き抜かれた天才青年・栖方と出会い、その発明と美しい微笑に心を動かされる語り手
- 栖方 まだ二十一歳の帝大生で数学の天才。海軍の研究生として、戦局を覆す光線兵器の発明を進めているという。この世ならぬ無邪気な微笑をもつ
- 高田 俳人。栖方の師で、梶に彼を引き合わせる
冒頭部(原文より)
次の日曜には甲斐へ行こう。新緑はそれは美しい。そんな会話が擦れ違う声の中からふと聞えた。そうだ。もう新緑になっていると梶は思った。季節を忘れるなどということは、ここしばらくの彼には無いことだった。
「微笑」横光利一(青空文庫)
末尾部(原文より)
「けれども、君、あの栖方の微笑だけは、美しかったよ。あれにあうと、誰でも僕らはやられるよ。あれだけは――」 微笑というものは人の心を殺す光線だという意味も、梶は含めて云ってみたのだった。それにしても、何よりも美しかった栖方のあの初春のような微笑を思い出すと、見上げている空から落ちて来るものを待つ心が自ら定って来るのが、梶には不思議なことだった。それはいまの世の人たれもが待ち望む一つの明判断に似た希望であった。
「微笑」横光利一(青空文庫)
原文を読む
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