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食器は料理のきもの(北大路魯山人)のあらすじ・登場人物

食器は料理の着物である

北大路魯山人 1935年(昭和10年)

文字数
3,521字
読了目安
約7分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

北大路魯山人が料理人たちを前に語った講演をもとにした一篇。なぜ自分が料理を始めてから窯を築き、陶磁器や漆器をみずから作るようになったのか——その理由を、料理と器は切り離せないという一点から説き明かす。「食器は料理の着物である」という有名な言葉の出どころであり、料理を美しく見せることが料理を美味くすることにほかならないという、魯山人の美食論の核心が簡潔に語られている。

あらすじ

私はなぜ陶磁器や漆器を作るようになったか——魯山人は聴衆にそう問いかける。料理を始めてから窯を築き、器をみずから作ることを、傍からは物好きが過ぎると見えるかもしれないが、本人にとってはそれが当然のことなのだという。刺身ひとつをとっても、庖丁の冴えやツマの色や形に心を配るのは、そうすることで料理に美しい感じが生まれ、全体として料理が美味くなるからにほかならない。ならば、その料理を載せる器がどうでもよいはずがない。器は料理の着物であり、着物が似合わなければ人の姿が引き立たないのと同じことである。しかるに世の料理屋が用いる器は、料理と釣り合わぬものばかりだ。ならば自分で作るしかない——それが窯を築いた理由である。最後に魯山人は、少し魚が扱えるようになると一人前の料理人になったつもりで他を顧みなくなる風潮を憂い、これは立派な料理屋に限った話ではなく、おでん屋にはおでん屋なりに、玄関を造るにも水を撒くにも同じ精神が要るのだと説いて、講演を結んでいる。

冒頭部(原文より)

 私はどうして陶磁器ならびに漆器などをつくるようになったか――みなさま大方はご存じのことと思いますが、私は料理を始めてから、ここにこうして窯を築き、陶磁器ならびに漆器類を、みずからつくっています。  なぜ、私がこうして陶磁製作に熱中して、みずから手を下すことにしているか、傍からご覧になると甚だ物好き過ぎるように思われましょうが、本人の私は、これが当然であると思っているのでありまして、今日はお土産話に、その理由を一言申し上げてみたい。

「食器は料理のきもの」北大路魯山人(青空文庫)

末尾部(原文より)

 以上、たいへん大ざっぱな話をいたしましたが、このことはなにも立派な、高級な料理屋などにかぎったことではなく、おでん屋ならおでん屋なりに、やはり、面白く有意義にやれるのであって、玄関ひとつ体裁造るにも、水ひとつ撒くにも、同じ精神でなければならないと思うのであります。

「食器は料理のきもの」北大路魯山人(青空文庫)

名文

これを要するに、書でも絵でも陶器でも料理でも、結局そこに出現するものは、作者の姿であり、善かれ悪しかれ、自分というものが出るのであります。

料理人たちを前にした北大路魯山人の講演の一節。庖丁の線一本にもその人が出ると説き、自ら器を焼く理由を語る。

食器と料理は、どこまで行っても、離れることのできない密接な関係にあります。この両者は夫婦のような関係にあると言えましょう。

「食器は料理のきもの」と唱えた魯山人の持論を端的に示す一節。器と料理を一生連れ添う夫婦にたとえる。

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原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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