宋書倭国伝(沈約)のあらすじ・登場人物
倭の五王、宋に使いす
- 歴史
- 文字数
- 688字
- 読了目安
- 約1分
- 表記
- 旧字旧仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
沈約が南朝斉の時代に編み、488年に紀伝を奏上した中国の史書『宋書』の夷蛮伝のうち、倭国について記した部分。五世紀に南朝の宋へたびたび使いを送った讃・珍・済・興・武の、いわゆる「倭の五王」の遣使と、彼らが求め、また授けられた「安東将軍」「倭国王」などの称号を、年を追って簡潔に記す。末尾には、倭王武が昇明二年(478年)に奉った上表文が載り、祖先が自ら甲冑をまとって東西の国々を平らげてきたことを、四字句を重ねた対句の多い文章で述べる。本文は句読点を施した漢文(白文)で、訓読や訳は付いていない。
あらすじ
倭国は高句麗の東南の大海のなかにあり、代々貢ぎ物を納めている、と書き起こされる。宋の高祖の永初二年(421年)、詔して倭王讃が万里の彼方から貢ぎ物を修めた誠意を称え、官爵を授けるよう命じる。讃が死ぬと弟の珍が立ち、使持節都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王を自称して正式な任命を求めたが、宋は安東将軍・倭国王に任じるにとどめる。続いて倭国王済が遣使して同じく安東将軍・倭国王とされ、のちに六国諸軍事を加えられる。済が死ぬと世子の興が貢献し、安東将軍・倭国王に任じられる。興が死ぬと弟の武が立ち、七国諸軍事・安東大将軍・倭国王を自称する。順帝の昇明二年(478年)、武は上表して、祖先が自ら甲冑をまとって山川を跋渉し、東は毛人の五十五国、西は衆夷の六十六国を征し、海を渡って北の九十五国を平らげたと述べ、高句麗が無道にも百済への道をふさいで朝貢を妨げていること、父と兄の遺志を継いで高句麗を討ちたいことを訴えて、官爵を求める。宋は詔して、武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王に任じた。
登場人物
- 讃・珍・済・興・武 五世紀に宋へ使いを送った倭の王たち(倭の五王)
冒頭部(原文より)
倭國在高驪東南大海中、世修貢職。高祖永初二年、詔曰、倭讚萬里修貢、遠誠宜甄、可賜除授。太祖元嘉二年、讚又遣司馬曹達奉表獻方物。
「宋書倭国伝」沈約(青空文庫)
末尾部(原文より)
順帝昇明二年、遣使上表曰、封國偏遠、作藩于外、自昔祖禰、躬甲冑、跋渉山川、不遑寧處、東征毛人、五十五國、西服衆夷、六十六國、渡平海北、九十五國、王道融泰、廓土遐畿、累葉朝宗、不愆于歳、臣雖下愚、忝胤先緒、驅率所統、歸崇天極、道遙百濟、裝治船舫、而句驪無道、圖欲見呑、掠抄邊隸、虔劉不已、毎致稽滯、以失良風、雖曰進路、或通或不、臣亡考濟、實忿寇讐壅塞天路、控弦百萬、義聲感激、方欲大擧、奄喪父兄、使垂成之功不獲一簣、居在諒闇、不動兵甲、是以偃息未捷、至今欲練甲治兵、申父兄之志、義士虎賁、文武效功、白刃交前、亦所不顧、若以帝徳覆載、摧此彊敵、克靖方難、無替前功、竊自假開府儀同三司、其餘咸假授、以勸忠節。詔除武使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六國諸軍事・安東大將軍・倭王。
「宋書倭国伝」沈約(青空文庫)
名文
封國偏遠、作藩于外、自昔祖禰、躬甲冑、跋渉山川、不遑寧處、東征毛人、五十五國、西服衆夷、六十六國、渡平海北、九十五國、
『宋書』倭国伝に載る、昇明二年(478年)の倭王武の上表文の書き出し。祖先が自ら甲冑をまとい山川を越えて、東西と海の北を平らげたと誇る。四字句を連ねた堂々たる漢文で、五世紀の倭の自画像を伝える。
原文を読む
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