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隋書倭国伝(魏徴)のあらすじ・登場人物

日出づる処の天子の国書

  • 歴史

魏徴 636年

文字数
1,535字
読了目安
約3分
表記
旧字旧仮名
種別
随筆

この作品について

唐の魏徴らが編み、636年に成った中国の史書『隋書』の東夷伝のうち、倭国について記した部分。開皇二十年(600年)の倭からの使者の話や、倭の官位・刑罰・風俗・産物を記したのち、大業三年(607年)に倭王多利思比孤が遣わした使者の国書「日出處天子、致書日沒處天子、無恙」と、これを読んで不快に思った煬帝の言葉、翌年に隋の使者裴清(裴世清)が倭国を訪れたときの道のりと倭王との対面を伝える。日本側の記録に見える遣隋使と照らし合わせて読まれてきた文献である。本文は句読点を施した漢文(白文)で、訓読や訳は付いていない。

あらすじ

倭国は百済・新羅の東南、水陸三千里の大海のなかにあり、邪靡堆に都する、それが魏志のいう邪馬臺であると書き起こされ、漢代以来の通交と卑弥呼の時代が短くまとめられる。開皇二十年(600年)、姓は阿毎、字は多利思比孤という倭王が使者を遣わす。使者は、倭王は天を兄とし日を弟とし、夜明け前に政務を聴いて日が出ると弟に任せると語り、高祖は道理に合わないとしてこれを改めさせた。続いて、王の妻や太子の呼び名、大徳・小徳から大智・小智までの十二等の官位、軍尼や伊尼翼といった役人、衣服や冠、武器、刑罰と、煮え湯の中の小石を探らせて罪を判じる裁き、仏法を敬って百済から経を得て初めて文字を持ったこと、正月の行事、婚姻や葬送の習俗、阿蘇山の火山のことが記される。大業三年(607年)、多利思比孤は朝貢の使者を送り、使者は海西の菩薩天子が仏法を重く興していると聞いて僧数十人を学ばせに来たと述べる。その国書には「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」とあり、煬帝は不快に思って、蛮夷の書で無礼なものは二度と取り次ぐなと命じる。翌年、煬帝は文林郎の裴清を倭国に遣わし、裴清は百済、竹島、都斯麻国、一支国、竹斯国を経て倭に至る。倭王は儀仗を整えて迎え、礼義の国の新しい教えを聞きたいと喜び、使者に方物を貢がせて裴清を送り返す。その後、通交は絶えた。

登場人物

冒頭部(原文より)

倭國在百濟・新羅東南、水陸三千里、於大海之中、依山島而居。魏時譯通中國三十餘國、皆自稱王。夷人不知里數、但計以日、其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。其地勢東高西下、都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。

「隋書倭国伝」魏徴(青空文庫)

末尾部(原文より)

明年、上遣文林郎裴清使於倭國、度百濟、行至竹島、南望※羅國、經都斯麻國、在大海中。又東至一支國、又至竹斯國、又東至秦王國、其人同於華夏、以爲夷洲、疑不能明也。又經十餘國達於海岸、自竹斯國以東、皆附庸於倭。倭王遣小徳阿輩臺、從數百人、設儀仗、鳴鼓角來迎。後十日、又遣大禮哥多、從二百餘騎郊勞。既至彼都。其王與清〔相見、大悦曰、我聞、海西有大隋禮義之國、故遣朝貢、我夷人僻在海隅、不聞禮義、是以稽留境内、不即相見、今故清道飾館、以待大使、冀聞大國惟新之化。清答曰、皇帝徳並二儀、澤流四海、以王慕化故、遣行人來、此宣諭。既而引清就館。其後清遣人謂其王曰、朝命既達、請即戒塗。於是、設宴享以遣清。復令使者隨清〕來貢方物。此後遂絶。

「隋書倭国伝」魏徴(青空文庫)

名文

其國書曰、日出處天子、致書日沒處天子、無恙、云云。帝覽之不悦、謂鴻臚卿曰、蠻夷書有無禮者、勿復以聞。

『隋書』倭国伝が伝える大業三年(607年)の国書。「日出づる処の天子」と自らを対等に名乗る倭王の書に、煬帝は不快を示した。遣隋使の外交を語るとき必ず引かれる、日本史で最も有名な一節の一つ。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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