耽溺(岩野泡鳴)のあらすじ・登場人物
衰弱した神経に過敏な注射を
- 心理
- 恋愛
- 文字数
- 55,597字
- 読了目安
- 約1時間51分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 神奈川県
この作品について
1909年(明治42年)、「新潮」に発表された岩野泡鳴の代表作。脚本を書くために国府津の海辺へ移った「僕」が、隣の料理屋にかかえられた芸者・吉弥に溺れてゆく顛末を、一人称で押し通した中編である。家には病んだ妻がおり、相手の女には眼病があり、金も情も擦り切れてゆく。それでも「衰弱した神経には過敏な注射が必要だ」と言い切って居直る主人公の姿に、生の本能をあるがままに肯定する「神秘的半獣主義」の思想がそのまま現れている。自然主義文学の代表作の一つ。
あらすじ
「僕」は込み入った脚本を書くため、やかましい宿屋を避けて国府津の海辺の素人家に間借りした。隣は料理屋の井筒屋で、実権を握る女将のお貞婆さん、その姪で十六になるお君、そして芸者がひとりいる。英語ができるというので子供たちに簡単な会話を教えることになり、ある日、井戸端から笑いかけてきただらしない寝巻き姿の女を見る。それが吉弥だった。最初は色の黒さに嫌気がさしたはずのこの女に、「僕」はやがて抜き差しならぬほど溺れてゆく。東京の家には病身の妻がおり、吉弥には吉弥で引き受けねばならぬ事情がある。金を使い、嘘をつかれ、騙され、それでも離れられない。落籍の話がもつれ、吉弥は菊子と名を変えて東京へ出るが、今度は眼を病んだ。妻のヒステリーと菊子の毒眼と、そして自分自身の衰弱と——。友人を連れて「復讐」に出かけた「僕」は、菊子の母の哀れっぽい訴えを冷淡にあしらい、「さようなら」を凱歌のように思いながらその家を引きあげる。
登場人物
- 僕 国府津に滞在して脚本を書く作家。吉弥に溺れてゆく語り手
- 吉弥(菊子) 井筒屋にかかえられた芸者。のち東京へ出て眼を病む
- お貞婆さん 井筒屋の実権を握る女将。主人夫婦を呼び捨てにする
- お君 井筒屋の十六になる娘。叔母に似た気性で両親を使いまわしている
- 妻 東京の家にいる「僕」の妻。ヒステリーを病んでいる
冒頭部(原文より)
一 僕は一夏を国府津の海岸に送ることになった。友人の紹介で、ある寺の一室を借りるつもりであったのだが、たずねて行って見ると、いろいろ取り込みのことがあって、この夏は客の世話が出来ないと言うので、またその住持の紹介を得て、素人の家に置いてもらうことになった。少し込み入った脚本を書きたいので、やかましい宿屋などを避けたのである。
「耽溺」岩野泡鳴(青空文庫)
末尾部(原文より)
「どうか奥さんによろしく」と、お袋は言った。 菊子は、さすが、身の不自由を感じたのであろう、寂しい笑いを僕らに見せて、なごり惜しそうに、 「先生、私も目がよけりゃアお供致しますのに――」 僕はそれには答えないで、友人とともに、 「さようなら」を凱歌のごとく思って、そこを引きあげた。
「耽溺」岩野泡鳴(青空文庫)
原文を読む
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