秋の悲歎(富永太郎)のあらすじ・登場人物
透明な秋の薄暮に墜ちる
- 文字数
- 700字
- 読了目安
- 約1分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
富永太郎が雑誌「山繭」創刊号(1924年)に発表した散文詩。透明な秋の薄暮のなかで、立ち去った女の残像と友である自分を見つめる。ボードレールやランボーの影響を受けた硬質な言葉で、都会の憂愁を描いた。24歳で夭折した詩人の代表作として知られる。
あらすじ
書き出しは「私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去つた」。道路のあらゆる直線が甦り、樹々が闇を招いてはいない世界で、「私」はパイプの微かな煙によって生きている。白陶土のような彼女の頸に千の静かな接吻を惜しまないと言いながら、公孫樹の葉の存在も赦そうと思う。炊煙の立つ都会など夢みないと語り、立ち去った女の残像を友とする。髪に入れた指は、昔の心の支えだった「全能の暗黒の粘状体」に触れることがない。結びで「私」は繁みに坐り、虚無を点検しない怠惰を自らに許し、降りてゆく先の「あらゆる悲惨の市」や、枯芝生の斜面、錫箔のような池の水面に身を委せ、「私は私自身を救助しよう」と述べる。
冒頭部(原文より)
私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去つた。道路のあらゆる直線が甦る。あれらのこんもりとした貪婪な樹々さへも闇を招いてはゐない。 私はたゞ微かに煙を挙げる私のパイプによつてのみ生きる。あの、ほつそりとした白陶土製のかの女の頸に、私は千の静かな接吻をも惜しみはしない。今はあの銅色の空を蓋ふ公孫樹の葉の、光沢のない非道な存在をも赦さう。オールドローズのおかつぱさんは埃も立てずに土塀に沿つて行くのだが、もうそんな後姿も要りはしない。風よ、街上に光るあの白痰を掻き乱してくれるな。
「秋の悲歎」富永太郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
繁みの中に坐らう。枝々の鋭角の黒みから生れ出る、かの「虚無」の性相をさへ点検しないで済む怖ろしい怠惰が、今私には許されてある。今は降り行くべき時だ――金属や蜘蛛の巣や瞳孔の栄える、あらゆる悲惨の市にまで。私には舵は要らない。街燈に薄光るあの枯芝生の斜面に身を委せよう。それといつも変らぬ角度を保つ、錫箔のやうな池の水面を愛しよう……私は私自身を救助しよう。
「秋の悲歎」富永太郎(青空文庫)
名文
私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去つた。道路のあらゆる直線が甦る。あれらのこんもりとした貪婪な樹々さへも闇を招いてはゐない。
富永太郎「秋の悲歎」の冒頭。ランボーに学んだ硬質で透明な感覚が、夭折の詩人の孤独な心象を鮮やかに結晶させる。
原文を読む
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