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私の青年時代(山之口貘)のあらすじ・登場人物

青春は憧れか思い出か

山之口貘 1963年(昭和38年)4月 「社会人」

文字数
7,630字
読了目安
約15分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

山之口貘が、自らの青春を振り返った随筆。誰からも愛される「青春」という言葉に疑いを向け、貧しく放浪した自分の青年時代を、笑いまじりに語る。末尾に、沖縄をめぐる世間の偏見を批判する詩の一節が引かれる。

あらすじ

人間は赤ん坊から幼年、少年、青年と進み、墓場に永住することになる。そのなかで最も人気のある年代は青年時代で、幼年や少年には憧れの的、壮年や老年には戻れない懐かしい時代として愛されている、と書き出す。世間並みにぼくにも青春はあったが、よき青春だったかどうかは自信がない、と続け、東京での放浪や貧しい暮らしを振り返る。結びでは、酋長だの土人だの泡盛だのと、同義語のように沖縄を眺める世間の偏見に触れ、亜熱帯に生まれた日本人としての自分を詩の言葉で語る。

冒頭部(原文より)

 人間は、生れてしばらくの間を赤ん坊と言われ、そのうちに幼年、少年、青年、壮年、老年という順を経て、墓場に永住することになるわけである。このなかで人間にとって一番の人気ある年代は青年時代のようで、青春と呼ばれているのがその時代なのである。幼年や少年にとっては、憧れの的であり、壮年や老年にとっては、またとかえるすべのない思い出なつかしい時代として、どの世代の人間からも、愛され拍手を浴びているのが青春時代なのではなかろうか。その意味では、青春をどのようにして生きて来たか、あるいは生きているか、または生きたいかということが、おそらくだれもの関心事であることに違いないのである。

「私の青年時代」山之口貘(青空文庫)

末尾部(原文より)

亜熱帯なんだが、僕の女よ、眼の前に見える亜熱帯が見えないのか! この僕のやうに、日本語の通じる日本人が、即ち亜熱帯に生れた僕らなんだと僕はおもふんだが、酋長だの土人だの唐手だの泡盛だの、同義語でも眺めるかのやうに、世間の偏見達が眺めるあの僕の国か! 赤道直下のあの近所 (「社会人」一九六三年四月号)

「私の青年時代」山之口貘(青空文庫)

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