山繭とは
- 分類
- 結社・団体
- 読み
- やままゆ
大正13年(1924年)12月に創刊された同人雑誌。同人誌『青銅時代』から分かれた石丸重治・木村庄三郎・永井龍男・小林秀雄に、富永太郎・河上徹太郎らが加わって始まった。編集発行人の石丸が費用をまかない、表紙や扉の絵は梅原龍三郎が手がけている。のちに批評の道を開く小林秀雄は、初期の誌面を支えた一人である。富永太郎は肺結核を病みながら、散文詩『秋の悲歎』、詩『橋の上の自画像』『鳥獣剥製所』などを寄せ、ボードレールやランボーに学んだ硬質な言葉で都市の憂愁を刻んだが、大正14年(1925年)11月に24歳で世を去った。堀辰雄も寄稿者の一人で、夏の終わりの軽井沢を舞台にした初期の短編『ルウベンスの偽画』の第一稿(昭和2年)はここに発表された。発行所を何度か替えながら月刊で続き、昭和4年(1929年)2月の第36号で終刊した。同じ年、富永を通じて小林らと知り合っていた中原中也は、河上徹太郎・大岡昇平らと同人誌『白痴群』を創刊しており、山繭の人脈はそこへも受け継がれた。