現代語訳 方丈記(鴨長明)のあらすじ・登場人物
佐藤春夫が訳す無常の名作
- 古典
- 文字数
- 21,451字
- 読了目安
- 約43分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 京都府
この作品について
日本三大随筆の一つ「方丈記」を、詩人・小説家の佐藤春夫が現代語に訳したもの。鴨長明が鎌倉初期に和漢混淆文で著した無常観の名作を、原文の格調を保ちつつ、かみくだいた平明な現代語で読み解く。「河の流れは常に絶える事がなく、しかも流れ行く河の水は移り変って絶間がない」——川の水と泡にこの世の無常を見た冒頭から、大火・辻風・遷都・飢饉・大地震の五つの災厄、そして日野山の方丈の庵での閑居まで、原文(旧字旧仮名)を読む前の入り口として親しみやすい一冊。1937年(昭和12年)、雑誌「浄土」に連載された。
あらすじ
移り変わってやまない川の流れと、浮かんでは消える泡——鴨長明はそこにこの世の無常を見る。都に立ち並ぶ家も住む人も絶えず移り変わり、栄えた者は落ちぶれ、昔なじみはわずかしか残らない。長明が続けて語るのは、自らが目撃した都の五つの災厄である。安元の大火は都の多くの家を焼き、治承の辻風は家々をなぎ倒し、突然の福原遷都は人心を乱した。養和の飢饉では道に死者があふれ、元暦の大地震は大地を揺るがした。世のはかなさを痛感した長明は名利を捨てて出家し、日野山の奥に一丈四方の草庵を営む。そこでの琵琶と和歌、四季の景物を友とする気ままな独居の楽しみを細やかに語ったのち、彼はその草庵への執着すらも仏道に背くものと自省し、念仏を唱えて筆を擱く。佐藤春夫は、この無常観の古典を原意に沿いながら平明にかみくだいて訳出している。
冒頭部(原文より)
河の流れは常に絶える事がなく、しかも流れ行く河の水は移り変って絶間がない。奔流に現われる飛沫は一瞬も止る事がなく、現れるや直に消えてしまって又新しく現れるのである。世の中の人々の運命や、人々の住家の移り変りの激しい事等は丁度河の流れにも譬えられ、又奔流に現われては消えさる飛沫の様に極めてはかないものである。
「現代語訳 方丈記」鴨長明(青空文庫)
末尾部(原文より)
物静かな夜明け方にこうした真理を考え続けて行き、自分の心持を深く反省して見ると自分がこうして浮世を脱れて山の中へ入った最初の目的は何だったかと云えばそれは仏様の道に精進しようとしてやった事なのであるが、それにも拘わらず自分の生活というものを考えて見ると外見は聖人の様ではあるがその心持はまだまだ聖人には遠く及びも付かないもので全く俗人の如くに濁ったものなのである。私の住家は昔の維摩居士の方丈の庵室を真似て建てたのであるが、自分の行いや信仰の上に於ては一番魯鈍だったと言われている仏弟子の周利槃特のものにすら劣っているではないか。そしてこの原因はあまりにも貧しい苦しみをしたのでその為にあまりに苦しんだから思う様に修業が出来なかったのであろうか、又は煩悩があまりにも強かったが為に心が狂ったのであったか、等と自分がどうして悟入出来得なかったかと自問自答しても何等の答も与えられなかった。それで唯口舌の力を借りて南無阿弥陀仏と二、三度仏の御名を唱えてその加護をお祈りするまでである。 時に建暦二年三月晦日頃、僧蓮胤が外山の庵で之を書き誌したものである。
「現代語訳 方丈記」鴨長明(青空文庫)
名文
河の流れは常に絶える事がなく、しかも流れ行く河の水は移り変って絶間がない。奔流に現われる飛沫は一瞬も止る事がなく、現れるや直に消えてしまって又新しく現れるのである。
「行く川のながれは絶えずして」で知られる方丈記の冒頭を口語に移した一節。無常の主題がそのまま読みとれる。
広さは僅かに一丈四方と云う小さなもので高さもそれに相当して七尺に満たないものなのである。
晩年の長明が住んだ方丈の庵を語るくだり。書名の由来となった一丈四方の小さな住まいの姿を伝える。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。
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