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春の心臓(イェイツ)のあらすじ・登場人物

湖の島の老魔術師と少年

  • 幻想
  • 翻訳

イェイツ 訳者 芥川龍之介 1914年(大正3年)6月 「新思潮」

文字数
4,697字
読了目安
約9分
表記
新字旧仮名
種別
小説

この作品について

アイルランドの詩人W・B・イェイツの短編 The Heart of the Spring を、芥川龍之介が訳したもの。原作は1897年の短編集『秘密の薔薇』に収められた一編で、芥川の訳は東京帝国大学在学中の1914年(大正3年)6月、第3次『新思潮』に掲載された。舞台はアイルランドのジル湖に浮かぶ小島。焼き打ちにあった僧院の跡に住む老魔術師と、彼に仕える十七歳の少年との対話から物語が始まる。百合と薔薇が入りまじって咲く廃園や、宝石にたとえられる夜の湖の景色が、漢語を織りまぜた硬質な訳文で描かれる。

あらすじ

ジル湖の島の、かつて焼き打ちにあった小さな修道院に、フオビスの子エンガスと呼ばれる老人が住んでいる。五年あまり老人に仕えてきた十七歳の少年は、長い断食と夜ごとの秘術をやめて休むよう願うが、老人はその訳を語って聞かせる。老人は若いころ、スペインの修道院で見つけたヘブライの文書から、太陽が白羊宮に入ってから獅子宮を過ぎるまでのあいだに、不死の霊たちの歌で震える一瞬があり、その歌を聞いた者は彼らと等しくなれると知った。生涯を魔術と戒行に捧げてきた老人に、ついに紅い帽子の矮人が、その瞬間は明日の夜明け後の第一時間が終わる前に来ると告げたのだという。老人は少年に、戸口と窓を青葉の枝でふさぎ、床に新しい燈心草を敷き、卓を薔薇と百合で覆うよう命じる。少年は夜半までかかって支度をととのえ、夜明けに砂時計を持って湖の岸で時を待つ。最後の砂が落ちたとき、あたりは鳥の歌に満ち、春の心臓の鼓動が聞こえるかのようだった。少年が部屋に入ると、老人は薔薇と百合の束を抱いたまま、冷たくなっていた。少年は、師は不死の霊たちの中にではなく、祈りと日々の暮らしの中に求めるものを探せばよかったのだと嘆く。

登場人物

冒頭部(原文より)

 一人の老人が瞑想に耽りながら、岩の多い岸に坐つてゐる。顔には鳥の脚のやうに肉がない。処はジル湖の大部を占める、榛の林に掩はれた、平な島の岸である、其傍には顔の赭い十七歳の少年が、蠅を追つて静な水の面をかすめる燕の群を見守りながら坐つてゐる。老人は古びた青天鵞絨を、少年は青い帽子に粗羅紗の上衣をきて、頸には青い珠の珠数をかけてゐる。二人のうしろには、半ば木の間にかくれた、小さな修道院がある。女王に党した涜神な人たちが、此僧院を一炬に附したのは、遠い昔の事である。今は此少年が再び燈心草の屋根を葺いて、老人の残年を安らかにすごすべきたよりとした。僧院の周囲にある庭園には、少年の鋤の入らなかつた為であらう。僧人の植ゑのこした百合と薔薇とが、一面にひろがつて、今では四方から此廃園を侵して来る羊歯と一つになりながら、百合も薔薇も入り交つて、うつくしく咲いてゐるのである。百合と薔薇との彼方には、爪立つて歩む子供の姿さへ隠れんばかりに、羊歯が深く茂つてゐる。羊歯を越えると榛と小さなの木の林になる。

「春の心臓」イェイツ(青空文庫)

末尾部(原文より)

 けれ共、老人は薔薇と百合との束を、緊く抱きながら坐つてゐた。頭は胸の上に低れてゐる。左手の卓子の上に、金貨と銀貨とに満ちた皮袋ののつてゐるのは、旅に上る為であらう。右手には長い杖があつた。少年は老人にさはつてみた。けれ共彼は動かなかつた。またその手を上げて見た。けれ共それは冷かつた。そして又力なく垂れてしまつた。 「御師匠様は外の人のやうに、珠数を算へたり祈祷を唱へたりして、いらつしやればよかつたのだ。御師匠様のお尋ねなすつた物は、御心次第で御行状や御一生の中にも見当つたものを。それを不死の霊たちなどの中に、お探しなさらなければよかつたのだ。ああ、さうだ。祈祷をなすつたり、珠数に接吻したりしていらつしやればよかつたのだ。」  少年は老人の古びた青天鵞絨を見た。そしてそれが薔薇と百合との花粉に掩はれてゐるのを見た。そして彼がそれを見てゐるうちに、窓につみ上げてある青葉の枝に止つてゐた一羽の鶫が唄ひ始めた。

「春の心臓」イェイツ(青空文庫)

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