アプリで読む

無料・登録不要

一兵卒と銃(南部修太郎)のあらすじ・登場人物

川に落ちてなお、銃を捧げた男

  • 社会
  • 心理

南部修太郎 1919年(大正8年)12月 「文芸倶楽部」

文字数
6,087字
読了目安
約12分
表記
旧字旧仮名
種別
小説

この作品について

霧の深い夜行軍の途中、居眠りをしていた愚鈍な二等卒が小川へ落ちる。水の中で必死に銃を頭上へ差し上げた彼の姿は、戦友たちの笑い話で終わるはずだった——南部修太郎が軍隊生活の一齣を切り取った短編。

あらすじ

六月の霧の夜、一年志願兵の「私」の属するA歩兵聯隊は、N原の出張演習へ向けて街道を北へ北へと行進していた。兵営から十里、蒸し暑さと眠さと空腹に押されて、隊列はもう夢遊病者の群れである。私の左を歩く中根二等卒は、平生からお人好しで愚図で、教練のたびにへまをやっては上官に叱られ、平べったい顔から「馬さん」と綽名される男だった。その中根が、とうとう半分眠ったまま小川へ落ちる。胸まである水の中で、彼は右手で銃を高々と頭上に差し上げ、「軍曹殿、早く、銃を早く」と叫びつづけた。兵士たちは「選りに選って奴が落ちるなんて」と笑い、たちまち中根の話にも飽きて、また居眠りしながら歩き出す。ところが帰営して三日目の朝、分隊長の高岡軍曹はみなを桜の樹蔭に集め、あのとき身の危急を忘れて銃を守った中根の行為こそ軍人精神の発揚だ、実に軍人の鑑だと、涙を溜めて賞讃するのである。兵士たちは呆気にとられて俯き、当の中根はといえば、真昼の太陽を眩しそうに、相変わらず愚鈍な顔でにやにや笑いを続けていた。

冒頭部(原文より)

 霧の深い六月の夜だつた。丁度N原へ出張演習の途上のことで、長い四列縱隊を作つた我我のA歩兵聯隊はC街道を北へ北へと行進してゐた。  風はなかつた。空氣は水のやうに重く沈んでゐた。人家も、燈灯も、畑も、森も、川も、丘も、そして歩いてゐる我我の體も、灰を溶したやうな夜霧の海に包まれてゐるのであつた。頭上には處處に幽かな星影が感じられた。

「一兵卒と銃」南部修太郎(青空文庫)

末尾部(原文より)

 かう云ひ續けて、高岡軍曹はやがて詞を途切つたが、それでもまだ賞め足りなかつたのか、モシヤモシヤの髭面をいきませて、感に餘つたやうに中根二等卒の顏を見詰めた。分隊の兵士達はすべての事の意外さに呆氣に取られて、氣の拔けたやうに立つてゐた。が、日頃いかつい軍曹の眼に感激の涙さへ幽かに染んでゐるのを見てとると、それに何とない哀れつぽさを感じて次から次へと俯向いてしまつた。  が、中根は營庭に輝く眞晝の太陽を眩しさうに、相變らず平べつたい、愚鈍な顏を軍曹の方に差し向けながらにやにや笑ひを續けてゐた。

「一兵卒と銃」南部修太郎(青空文庫)

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

青空文庫の図書カード

同じ作家の作品

近い作品