修道院の秋(南部修太郎)のあらすじ・登場人物
北国の秋、修道院に見た虚無
- 心理
- 文字数
- 11,896字
- 読了目安
- 約24分
- 表記
- 旧字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 北海道
- 青森県
この作品について
1916年(大正5年)「三田文學」に発表された南部修太郎の処女作にして代表作。函館を発つ船の上から始まり、北国の修道院を訪ねた旅人の目に映る秋の風景と、修道生活を送る人々の静けさを描く。北国の自然は美しくとも旅人の心には近づかず、大理石の刻像のように血も熱もない——そう感じる語り手が、修道院で何を見出すのか。抑制のきいた文章と宗教的な主題によって、著者の名を一躍高からしめた作品である。
あらすじ
若い水夫が纜を放つと、鈍い汽笛とともに船は静かに函館の旧棧橋を離れた。港には冷え冷えとした朝靄が立ちこめ、雨上がりの秋空は憂い気に暗んでいる。荷役に忙しい汽船や帆船のあいだをぬけて船は進み、「私」の目には北国の寂しい朝の姿ばかりが映る。港をかこむ山々の襞には憂鬱と冷酷の色が深く刻まれ、北国の旅人はその自然に対して何の親しみも温みも感じられない。美しさがあっても輝きがあっても、それは大理石の刻像のように血がなく熱がない——山を仰いでも海を眺めても、胸に迫るのは言い知れぬ空虚と寂寞である。やがて「私」は、Kさんに導かれてある修道院を訪れる。俗世を捨てた人々の日課、鐘の音、祈りの姿。そこに流れる時間は静かだが、その静けさは彼の虚無を癒すどころか、かえって際立たせる。午後の海が静かに輝き、陸奥の山々が靄のかなたに幽かに浮かぶのを見つめながら、「私」は心のなかで呟く——死が来なければ人は真の安穏を得ることはできないのだ、と。
登場人物
- 私 函館を発ち、北国の修道院を訪ねる旅人
- Kさん 修道院へ私を導く人
冒頭部(原文より)
「好いかよう……」 と、若い水夫の一人が、間延びのした太い聲で叫びながら船尾の纜を放すと、鈍い汽笛がまどろむやうに海面を掠めて、船は靜かに函館の舊棧橋を離れた。 港の上にはまだ冷冷とした朝靄が罩め渡つて、雨上りの秋空は憂ひ氣に暗んでゐた。
「修道院の秋」南部修太郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
午後の海は靜かに輝いてゐた。遠くの水平線は灰色の靄に隱されて、海と空との間に、陸奧の山々が幽かに浮かんで見えた。そして寂しい海の上には往き來する小舟の影もなかつた。ただきらきらと潮流に乘つて動いて行く浪のうねりが限りなく續いてゐる。私はぢつと瞳を定めて、その跡を見守つてゐた。 「さうだ、死が來なければ人は眞の安穩を得ることは出來ないのだ。」私はさう心の中に呟きながら、Kさんの後から坂道を降りて行つた。
「修道院の秋」南部修太郎(青空文庫)
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