恋愛と道徳(エレン・ケイ)のあらすじ・登場人物
恋愛は人生の宗教である
- 社会
- 翻訳
- 文字数
- 25,478字
- 読了目安
- 約51分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
スウェーデンの思想家エレン・ケイが、主著『恋愛と結婚』に寄せられた批判に答える形で書いた論考を、伊藤野枝が訳したもの。1914年(大正3年)3月に東雲堂書店から出た訳書『婦人解放の悲劇』に、エマ・ゴールドマンの論文と並べて収められた。個人の恋愛は社会の安寧のために犠牲にされるべきだという「世俗の義務論」を取り上げ、種族の向上という当時の観点も交えながら、結婚・離婚・母性・新しい道徳のありかたを論じる。大正期の日本では、恋愛と母性をめぐるケイの議論が女性論の大きな争点として盛んに紹介された。
あらすじ
筆者はまず、国家に欠かせないのは健全な両親の永続的な結合であり、個人の幸福は社会のために犠牲にされるべきだという「世俗の義務論」を紹介し、その根底には社会の安寧は個人の犠牲で成り立つという誤った観念があると批判する。前著『恋愛と結婚』の主張を振り返り、問題は今の結婚制度がよいかどうかではなく、種族の向上のためにより有効な道徳律をどう見いだすかにあると述べる。性的理想主義者と人種改良論者の対立を整理したうえで、恋愛こそが人生と種族を高める力だとし、性の問題は生の問題だと説く。「人生の目的は人生それ自身であり、恋愛は人生の宗教である」として、恋愛を軽んじる社会や禁欲的な人生観を退け、「汝は……すべからず」の形で恋愛の戒めを掲げる。フェルスター博士の批評に答えつつ、不幸な結婚ではどちらかが犠牲になるほかなく、その判断は個人の良心に委ねられると論じる。旧道徳が霊と肉を対立させるのに対し、新道徳は両者をともに神聖とみてその矛盾を除こうとするのだと述べ、自分の求める束縛は倒れかけた老木を支える鉄の箍ではなく、若木を支える麻縄のようなものだと結ぶ。
冒頭部(原文より)
恋愛のために個人の幸福と社会の安寧とが屡々衝突する事がある。此の時に現在の義務と云ふ観念が社会に対する個人の絶対無条件の犠牲を要求する。私共はこういふことを屡々耳にする――凡そ国家として欠くべからざるものは健全なる父母であり、而して彼等の確固たる永久の結合はその子孫の教育を安全ならしむるものである。さうして、此要求が個人の幸福に対して干渉する場合には、個人は何時でも犠牲の位置に立たなければならない。この個人が禍を蒙むると云ふことが直ちに結婚の覊絆をゆるめなければならぬといふ理由にはならない。而して両親の大多数が子供と云ふものは家庭に於て最もよく養育せられるものであると云ふ意見を抱いてゐる間はその様な理由は確かに成り立ちはしないのである。であるから国家といふものは結婚制度の変化如何に由て何等の影響をも蒙むるものではない。又離婚を容易ならしむると云ふことが人間の密接なる関係によつて常に生ずる不和合の原因を除去する手段にもならない。
「恋愛と道徳」エレン・ケイ(青空文庫)
末尾部(原文より)
私は社会より全ての形式を剥奪せんとするものゝ如く云ふは誤れる非難である。『恋愛と結婚』を通読した人々にはこれはよく理解せられてゐることと思ふ。それは新しき形式を要求する人々に対して常に為さるゝの非難である。私の提出した新形式の心理的内容と律法的堅実を疑ふ人があるかも知れない。併しながら何人も私が何等の拘束なき自由を要求したものであると主張することは出来ない。私の云ふ束縛とは若樹を縛る麻縄の如きものであつて、かの将に倒れんとする老樹を辛うじて支ふる鉄の箍の如きものではないのである。
「恋愛と道徳」エレン・ケイ(青空文庫)
原文を読む
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