子供の保護(エマ・ゴールドマン)のあらすじ・登場人物
見せるための学校
- 社会
- 翻訳
- 文字数
- 4,283字
- 読了目安
- 約9分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
アメリカから国外追放され、1920年から21年末まで革命後のロシアに暮らしたエマ・ゴールドマンが、そこで見た子どもの施設について書いた報告を、伊藤野枝が訳したもの。大杉栄らの『労働運動』(第三次)第7号、1922年(大正11年)9月10日に載った。ボリシェヴィキ政府が子どもの保護に力を尽くしたと伝えられる陰で、実際に何が起きていたかを、ペトログラードの学校を訪ね歩いた体験から伝える。翌月号の「死んだ魂」へと続く、ゴールドマンのロシア見聞記の一部である。
あらすじ
1919年、ニューヨークの集会で革命ロシアの子どもの保護をたたえる演説を聞いた筆者は、期待を胸にロシアへ渡る。ペトログラードで最初に訪れた模範学校は旧ホテルの建物にあり、子どもたちは清潔で栄養も行き届いていたが、盗みをした子は「道徳的不具者」として隔離されていると聞いて、筆者は戸惑う。やがて少女の寄宿学校で舎監をしている旧友が、子どもたちは芋の皮でケーキを作っていると話す。その学校を何度も訪れると、六十五人の子どもに食べ物も靴も足りず、友人は木のスプーン二十本を手に入れるのに二週間もかかっていた。筆者は、外国の使節や記者に見せるための「見世物学校」だけが最上の物資を受け取り、大多数の学校には残り物しか回らないことを知る。連合国の干渉と封鎖による窮乏を認めつつも、差別と不公平を生んでいるのは中央集権の官僚制度そのものだと結論する。
冒頭部(原文より)
共産主義国家によつてつくられた、そしてごく真面目な努力を阻んでゐる嘘の中で、子供の利益の為めにしたボルシエヰキの活動と云ふ事程、悪いそして明かな事は何処にもない。尤もロシヤの子供達の生活に就いて云はれてゐる多くの事は、たゞの噺にすぎないとは云へ、しかし其のための非常な試みのあつた事は認めなければならない。が、何故其の試みは失敗したか? 私は、一九一九年、メデイソン・スクエア・ガアヅンで挙行された十月革命の第二回紀念日に、一人の演説者から受けた感銘をはつきりと覚えてゐる。 其の人は丁度ロシアから帰つて来たばかりだつた。彼は、ロシアでの子供の保護と取扱ひとを説いて、聴衆へ非常な感奮を与へた。私の心は其の国の人々の上に飛んだ。――其処には長い間の軛を投げ棄て、そして今は『子供の手に引かれて』ゐる民衆がゐるのだ。それは非常な驚異であつた。
「子供の保護」エマ・ゴールドマン(青空文庫)
末尾部(原文より)
聯合国の干渉と封鎖とはロシアの恐しい窮乏の主なる責任を負はなければならない。が、それにしても、子供達の生活に必要なる物は、もつと公平に分けてやる事が出来たのだ。ボルシエヴイキの組織其者が、労働者に対する取扱ひにもさうであつたやうに、子供に対してもやはり差別と不公平とを附き纏はせるのだ。労働者に対しては、いろいろと違つた定食糧があり、それが公然ときめられて公然と行はれてゐるのだ。 子供達にも、それ程公然ではないが、同じやうな事が行はれてゐる。第一に、見世物学校の組織が、一特権を設ける悪い事なのだ。それは、必然にかこつけや嘘や詐りを其の中に含み、それが又教師の上に其の影響を及ぼす。此の点でも又其の他の点でも、ボルシエヴイキの最善の努力を無駄な石胎にして了つた。一番悪いのは国内の中央集権だ。官僚政治の複雑な機関だ。
「子供の保護」エマ・ゴールドマン(青空文庫)
原文を読む
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