婦人解放の悲劇(エマ・ゴールドマン)のあらすじ・登場人物
解放から自らを解放せよ
- 社会
- 翻訳
- 文字数
- 8,055字
- 読了目安
- 約16分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
エマ・ゴールドマンが1906年に自ら創刊した雑誌『マザー・アース』に発表し、のちに評論集『アナキズムその他の論文』(1910年)に収めた「The Tragedy of Woman's Emancipation」を、伊藤野枝が訳したもの。野枝は1914年(大正3年)3月、この一編を表題にした訳書『婦人解放の悲劇』を東雲堂書店から刊行した。参政権や職業を得たことで女性は本当に解放されたのかと問い、外からの束縛だけを取り除いた解放の限界を論じる。『青鞜』の同人だった野枝が、十代の終わりに手がけた訳業である。
あらすじ
筆者は、人と人とのあいだの差異はいつか一つに融け合うと信じるとし、目指すべきは「互いに許しあう」ことではなく「互いに理解しあう」ことだと述べる。婦人解放運動の目的は女性を真に人とすることだったが、実際の解放はかえって女性を孤立させ、幸福の泉を奪ったと指摘する。参政権はアメリカのいくつかの州で得られたが政治は清められず、職業の自由も、男性と張り合うために心身をすり減らす結果になっている。解放された女性は、恋愛が独立を奪い、母となることが仕事を妨げると恐れ、尼僧のような生き方に追いこまれている。ラウラ・マルホルムの著作や、フランスの小説に描かれた冷たく品行方正な「新しい美人」を例に、外からの圧迫だけを取り除き、世論や習俗という内なる圧制者を残したことが悲劇の原因だと論じる。真の解放は投票所や法廷ではなく女性の心のうちから始まるとし、愛し愛されることこそ最も根本の権利であり、自らを限りなく与えることだけが解放の悲劇を歓喜に変えると結ぶ。
冒頭部(原文より)
人類の間に存する種々なる集団の根本的差異を論ずるあらゆる政治及び経済上の学説、階級と種族の差異、女権と男権とを画する全ての人工的境界線などいふ様々なものが在るにもかゝはらず、この様な色々な差異が次第に成長して何時か完全な一つのものとなるの日が来るといふ確信を私が抱いてゐる者であるといふことを了め含んで置いて頂きたい。 と云つて私はなにも平和条約を提供しやうといふのではない。今日に於ける社会生活の全般を通じて幾多の矛盾せる利害関係の勢力から生じて来る社会的闘争は正しき経済上の原理を基礎とした社会的生活改造の実現と同時に微塵に粉砕せらるゝであらう。
「婦人解放の悲劇」エマ・ゴールドマン(青空文庫)
末尾部(原文より)
瑣々たるものは分離し、広きものは結びつく。私等は相互に博大な心を持つ様にならなければいけない。我々の周囲に群がる有象無象のために、ものの根本を見逃してはならない。両性関係の真の意義は征服者、被征服者といふが如き関係を許さない。それは只だ一ツの偉大なることを知つてゐる――即ち自己をより豊富に、より深く、より善くするために自己を限りなく与ふるといふことである。それのみが只だ空虚を満たし、婦人解放の悲劇を無限の歓喜に変ずるであらう。
「婦人解放の悲劇」エマ・ゴールドマン(青空文庫)
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