結婚と恋愛(エマ・ゴールドマン)のあらすじ・登場人物
結婚は恋愛の敵か
- 社会
- 翻訳
- 文字数
- 8,119字
- 読了目安
- 約16分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
アメリカで活動したアナキスト、エマ・ゴールドマンの論文「Marriage and Love」を、伊藤野枝が訳したもの。原文は1910年刊の評論集『アナキズムその他の論文』に収められている。野枝は1914年(大正3年)3月、ゴールドマンとエレン・ケイの論文を集めた訳書『婦人解放の悲劇』を東雲堂書店から刊行し、本編もその一編として収めた。結婚と恋愛は同じ動機から生まれるという通念に異を唱え、結婚という制度が女性の生き方や子どもの扱いにどう関わるかを、離婚の統計や同時代の文学作品を引きながら論じる。漢語の多い大正初めの訳文で、論調は熱を帯びて鋭い。
あらすじ
筆者は、結婚と恋愛が同じ動機から生まれ同じ必要を満たすという通念は迷信だと述べる。結婚はもともと経済的な取り決めで、女性に名前や私生活、自尊心まで差し出させる保険契約のようなものだという。離婚の統計やイプセンの『人形の家』を挙げて結婚の失敗を示し、少女が性について無知なまま結婚のために育てられ、相手が妻を養えるかどうかで結婚を決めるよう教えられる現実を批判する。働く女性も仕事を結婚までの腰掛けと考え、結婚した女性にとって家庭はかえって仕事を増やす牢獄になっていると指摘し、結婚が子どもや女性を保護するという主張も退ける。そして恋愛は本来自由なものであり、自由な母が愛によって子を産み育てることが新しい人間をつくると説き、いつか男女が対等に成長して愛の頂に達する日を展望して結ぶ。
冒頭部(原文より)
結婚と恋愛に関する一般の観念は其が同意義であり、同じ動機から湧き出し、同じ人間の必要を蓋ふてゐると云ふのである、大抵の通俗観念と同様にこれも亦事実に基かないで、迷信に基いてゐるのである。 結婚と恋愛は共通な何物をも持つてはゐない。両者はまるで両極のやうに離れてゐる。実際、相互に敵視してゐるのである。勿論ある結婚は恋愛の結果であつた。然し恋愛が結婚に於てのみそれ自身を肯定することが出来るからだと云ふのではない。寧ろ大抵の人が習俗をまつたく脱することが出来ないからだ。今日では多数の男女にとつて結婚は喜劇以外の何物でもない。ただ輿論の為めにそれに服従してゐる許りである。兎に角或種の結婚は恋愛を土台としてゐることは事実であるし、またその恋愛が結婚してから継続してゐるのもあるのは等しく事実ではあるが、私はそれが結婚とはまつたく関係が無いものであり、又それが為めだと云ふやうなことを主張したくないのである。
「結婚と恋愛」エマ・ゴールドマン(青空文庫)
末尾部(原文より)
われ等が現在の矮少な状態に於ては、恋愛は実際大抵の人々にとつてあかの他人である。誤解せられ、嫌忌せられて根ざすことは稀れだ。よし偶々根ざしても、やがて枯れ凋んでしまふ。恋愛のデリケートな繊緯は日々挽き砕かれる圧迫に耐へることが出来ない。その霊魂はあまりに複雑だから、わが社会組織の粘り強き緯にそれ自からを適合せしむることが出来ない。恋愛はそれを要求する人々と共に歎げき、悶へ苦しむ、而も愛の絶頂に登る能力を欠いてゐる。 いつか、いつか男と女とは立つて、その最高峰に到達するであらう。かれ等は大きく、強く自由に生長して出合ふだらう、そしてかれ等は準備して相互に愛の光輝に与かり、その中に浴するであらう。どんな幻想、どんな想像、どんな詩的天才が男女の生活中にかくの如き力の可能を先見し得るだらう。若し世界が真の交友と一致団結とを生み出すとすれば、その親は結婚ではなく恋愛であるだらう。
「結婚と恋愛」エマ・ゴールドマン(青空文庫)
原文を読む
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