三等郵便局(尾崎士郎)のあらすじ・登場人物
亡き兄に語りかける家の没落
- 家族
- 心理
- 文字数
- 19,539字
- 読了目安
- 約39分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 愛知県
この作品について
1923年(大正12年)3月、『早稲田文学』に発表された尾崎士郎の短編。亡き兄に呼びかける「わたし」は、兄の罪について、その人がいかに善良だったかを書こうとする。一家の没落から十年が過ぎ、残る記憶の断片を拾い集めるうち、父、兄、叔父の生活が次々に浮かび上がる。父が局長を務める郵便局には、兄や叔父も働いていた。最初に語られるのは、幼い「わたし」が見た、柱時計の音に耳を澄ます叔父の姿である。家族の歴史を順序よく説明するのでなく、忘れられない場面から別の思い出へとたどってゆく構成を持つ。相手を弁護したい気持ちと、自分自身を責める思いが、兄への呼びかけに同居している。郵便局の事務室と家族の居間が隣り合う生活のなかで、身内を見つめる目と過去を語り直すことの痛みが重なる。
あらすじ
「わたし」は、今はこの世にいない兄へ語りかけるようにして、一篇の小説を書き起こす。それは、善良で正しい人間でありながら罪を犯し、非業の死を遂げた兄の生涯を書き残すことだけを動機とする、兄への頌徳の辞であり、同時にみずからの心を打つ荊棘の鞭でもあった。わたしの一家が没落してから、すでに十年の歳月が流れている。過去の濃い霧のなかから古びた記憶の断片を拾い集めてゆくと、おもいでは古いおもいでを呼び、より深い過去の谷底へとわたしを導いてゆく。そこにわたしが見たのは、三等郵便局を営みながら暮らしを立てていた父の姿であり、兄の姿であり、叔父の姿であった。堅実であろうとしながらもどこか脆さを抱えた父の生活、その血を受け継いだ兄の生活――彼らがそれぞれの生きざまによって示した運命は、やがて抗いがたい力となってわたし自身の人生の上にも影を落としてゆく。家運は父の代から少しずつ傾き、執達吏が出入りするような窮迫のなかで、家族は一人また一人と欠けてゆく。兄は罪を得て世を去り、嫂も幼い子を残して家を離れ、後には母とわたしと、兄の遺した子供とが残された。子供の生長を唯一のよろこびとして生きるわたしの胸には、それでもなお兄の非業の死をめぐる記憶が絶えず甦り、過ぎ去った家の宿命の不安のなかへとわたしを引き戻そうとする。没落する一家の姿を通して、人が背負う血と運命の重さを静かに見つめた、作者の青春の書である。
冒頭部(原文より)
兄よ。あなたがこの世に生きていないことが、どんなにわたしの心を悲しくすることか。その悲しみのためにこの一つの計画に対するわたしの情熱までがいかに減殺されることか。何故ならわたしが試みようとしているこの一篇の小説はあなたについて、いや、あなたの犯した罪について、あなたがいかに正しく善良な人間であったかということを語ることにのみ唯一の動機を感ずるからである。これは勇敢なる兄に対して捧げられた頌徳の辞であるよりも以上に、おろかなる弟が自らの心に加えた荊棘の鞭であるからである。
「三等郵便局」尾崎士郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
嫂は間もなく男の子を産んだが、しかし一年の後、彼女は子供を残して彼女が長い間受けた不幸な教養に相応しい場所へ、新しい生活のきずなを探すために帰っていった。そして、母とわたしとあなたの子供との上に新しい日が恵まれつつある。しかし、兄よ、子供への愛情は一日ごとに深くなり、彼が生長するよろこびはわたしをして妻をめとる必要をすらも感ぜしめないほどであるのに、あなたの非業の死についての記憶が一日一日とわたしの心を過ぎ去った運命の不安の中へ呼び戻そうとするのはどうしたものであろうか。
「三等郵便局」尾崎士郎(青空文庫)
原文を読む
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