美的生活論争とは

分類
その他
読み
びてきせいかつろんそう

明治34年(1901年)、高山樗牛の評論「美的生活を論ず」をめぐって起こった論争。雑誌「太陽」8月号に発表されたこの評論で樗牛は、道徳や知識は人間の本能の満足に奉仕する手段にすぎず、人性本来の要求を満たすこと、すなわち「美的生活」にこそ真の幸福があると説いた。かつて日本主義を唱えて国家を重んじた論客が、個人の本能の満足に至上の価値を置いたことは大きな反響を呼んだ。長谷川天渓が同じ8月に「読売新聞」へ批判を寄せたのを口火に、坪内逍遥も同紙に「馬骨人言」を連載して、その主張の背後にあるニーチェの思想を厳しく批判した。これに対し、ニーチェの紹介者として知られる登張竹風が「帝国文学」誌上で擁護の論陣を張り、樗牛自身も反論を重ねたため、論争はやがてニーチェの思想の是非を問うものへと移って「ニーチェ論争」とも呼ばれる。東京帝国大学に学んだ樗牛・竹風と、逍遥を中心とする早稲田の文学者たちとの対立という構図もあった。樗牛は翌明治35年(1902年)12月に満31歳で病没したが、国家から個人の内面へと関心を移していく明治30年代の思想の流れを映した論争として知られる。

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