太陽とは
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- 結社・団体
- 読み
- たいよう
明治28年(1895年)1月、博文館が創刊した日本初の本格的総合雑誌。政治・経済から文芸まであらゆる分野を網羅し、明治期最大の雑誌として国民的な影響力を持った。評論家の高山樗牛は主筆として健筆を振るい、ニーチェの影響下に本能の満足を説いた評論『美的生活を論ず』(明治34年)はこの誌上に発表されて「美的生活論争」を引き起こした。文芸欄には樋口一葉『ゆく雲』や、観念小説の代表作である川上眉山『書記官』(ともに明治28年)、泉鏡花『海城発電』(明治29年)などが載った。明治末から大正にかけても、大逆事件の判決の日を描いた平出修『逆徒』(大正2年)が掲載号ごと発売禁止となり、正宗白鳥の『入江のほとり』(大正4年)が発表されるなど文芸の舞台であり続け、南方熊楠は大正3年(1914年)から大正12年(1923年)まで、古今東西の説話を博引旁証する『十二支考』を連載した。大正デモクラシー期の新しい総合雑誌に押されて振るわなくなり、昭和3年(1928年)に廃刊した。