ゆく雲(樋口一葉)のあらすじ・登場人物
帰郷の便りに揺れる恋心
- 恋愛
- 文字数
- 9,169字
- 読了目安
- 約18分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
1895年5月、「太陽」に発表された樋口一葉の短編。東京で学ぶ野沢桂次のもとへ、甲州の養家から帰郷を促す便りが届く。家督を継ぎ、養家の娘と結婚することを求められる彼には、東京を離れがたい理由があった。世話になっている上杉家の娘、お縫への思いである。財産のある家に迎えられた桂次と、継母や父に気を遣って暮らすお縫。二人の不自由は重なりながらも、同じ重さ、同じ形をしてはいない。故郷からの手紙には家の理屈が並び、二人の会話には同情を求める言葉と、それをそのままには受け取らない返事が交差する。恋心を美しく描く一方、桂次の愚痴や自分本位な言い分にも目を向ける語りが、人物を単純な悲恋の役柄に収めない。流れるような文語の地の文と生きた会話を通して、個人の望みが家の都合や日々の暮らしと触れ合うところを描いている。
あらすじ
甲州の素封家の養子・野沢桂次は、東京で学生生活を送り、下宿先の上杉家の娘・お縫と親しんでいる。養父の病により、桂次は家督を継ぐため帰郷を促され、養家の娘との縁談もかねて定められていた。継母に疎まれながら健気に家を支えるお縫に、桂次は心を寄せ、別れに際しては行く末を匂わせる言葉さえ残すが、故郷に帰れば家督と縁談という浮世の義理が待っている。上京の折の約束もいつしか遠のき、文のやりとりは月に一、二度から二月に一度、三月に一度と間遠になり、やがて年始状と暑中見舞いだけの儀礼の交際になっていく。桂次は養家の娘と結ばれて甲州に根を下ろし、東京の空の下、お縫はひとり、通り過ぎていった人の面影を胸に、相変わらず父と継母に仕えて我が身を殺す日々を送るのだった。
登場人物
- 野沢桂次 甲州の素封家の養子。下宿先の娘お縫に心を寄せながら、家の縁談に流されていく
- お縫 桂次の下宿先・上杉家の娘。継母に疎まれつつ健気に家を支える
冒頭部(原文より)
酒折の宮、山梨の岡、塩山、裂石、さし手の名も都人の耳に聞きなれぬは、小仏ささ子の難処を越して猿橋のながれに眩めき、鶴瀬、駒飼見るほどの里もなきに、勝沼の町とても東京にての場末ぞかし、甲府はさすがに大厦高楼、躑躅が崎の城跡など見る処のありとは言へど、汽車の便りよき頃にならば知らず、こと更の馬車腕車に一昼夜をゆられて、いざ恵林寺の桜見にといふ人はあるまじ。
「ゆく雲」樋口一葉(青空文庫)
末尾部(原文より)
あはれ可笑しと軒ばの桜くる年も笑ふて、隣の寺の観音様御手を膝に柔和の御相これも笑めるが如く、若いさかりの熱といふ物にあはれみ給へば、此処なる冷やかのお縫も笑くぼを頬にうかべて世に立つ事はならぬか、相かはらず父様の御機嫌、母の気をはかりて、我身をない物にして上杉家の安穏をはかりぬれど、ほころびが切れてはむづかし。
「ゆく雲」樋口一葉(青空文庫)
原文を読む
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