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入江のほとり(正宗白鳥)のあらすじ・登場人物

入江の旧家に沈む索漠の日々

  • 心理
  • 家族

正宗白鳥 1915年(大正4年)4月 「太陽」

文字数
25,440字
読了目安
約51分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 岡山県

この作品について

1915年(大正4年)4月、『太陽』に発表された正宗白鳥の小説。長兄が奈良から送った絵葉書を、弟や妹たちが回し見る場面から始まる。東京へ出たい勝代、旅の計画を語る良吉に対して、小学校教師の辰男はほとんど口を利かない。村に電灯が来るという話にも、辰男がひそかに気にするのは、話に出た洋語の綴りである。夜になると、彼はまた英和辞書を開き、独学を続けている。十人もの家族が食卓を囲む賑やかさと、一人ひとりの思いが通い合わない感触が、会話と細かな動作のなかで並んでゆく。都会を知る者と知らない者、外へ出たい者と家にとどまる者の違いも、汽車や電灯といった身近な話題から浮かび上がる。冷えた食事や炬燵のぬくもり、川辺の景色など、暮らしの手触りを通して、同じ家に住む人々の隔たりを描いた作品だ。

あらすじ

瀬戸内の入江に臨む旧家に、老父母を中心とした大家族が暮らしている。長兄の栄一は奈良で教師をしており、絵葉書に旅の寂しさを書いてよこす。冬休みで帰省している弟の良吉は、東京での学生生活を得意げに語り、電灯やイルミネーションの珍しさを話して聞かせる。姉の勝代は、近眼の鉄縁眼鏡をかけ、婚期を逃したまま、ただ東京へ出て寄宿舎で暮らしたいという夢だけを繰り返し口にする。「死んだってかまわん覚悟をしとる」と気負ってみせるものの、村から一歩も出られぬ身にはそれもかなわぬ望みでしかない。そんな家族のなかで、次兄の辰男はいっそう際立って孤独である。小学校の教師を勤めながら、夜が更けるまで机に向かって英語の独学に耽り、四年五年と月日を送ってきた。発音も訳し方も自己流で世間には通用しそうにないその勉強を、家族は「田舎で語学をやっても骨折り損だ」と諫めるが、彼は馬の耳に風と聞き流し、返事さえしない。バイオリンを習って音楽家になりたいという昔の望みを拒まれてから彼はこうなったのだ、いや身体に故障があるからだ、と家族はもてあまし、やがて「粥でも啜れるくらいの田地を分けてやって抛っておくか」と、彼の身の上を誰も問題にしなくなる。上京や旅行の話にも心を動かさず、ただ黙々と辞書を繰り、炬燵で温まるひとときだけを一日の慰めとする辰男。入江に光る漁火を眺めては、もっと快活だった少年時代を遠い前世のように思い返す。誰もが満たされぬ思いを抱えたまま、変化のない田舎の生活のなかで空しく老いてゆく――そのやりきれない生の実相を、白鳥は突き放したまなざしで淡々と描き出す。

冒頭部(原文より)

 長兄の栄一が奈良から出した絵葉書は三人の弟と二人の妹の手から手へ渡った。が、勝代のほかには誰も興を寄せて見る者はなかった。 「どこへ行っても枯野で寂しい。二三日大阪で遊んで、十日ごろに帰省するつもりだ」と筆でぞんざいに書いてある文字を、鉄縁の近眼鏡を掛けた勝代は、目を凝らして、判じ読みしながら、

「入江のほとり」正宗白鳥(青空文庫)

末尾部(原文より)

「辰はおれが遣った○○の英文小説を読むかしらん」と、ふと、思ったが、それも瞬く間に消えてしまった。  辰男は二三日テーブルの前に懐手をして腰を掛けたまま夜を過した。妹の頁をめくる音を聞きながら……。

「入江のほとり」正宗白鳥(青空文庫)

名文

そして、汽車に乗ると勝代の顔も辰男の顔も心に薄らいで、ただ入江のほとりの古めかしい大きな家の二階にあんな弟妹の住んでいるのが、憎みも愛もなく顧みられた。

帰省を終えた長兄・栄一が村を離れる場面。「憎みも愛もなく」という冷めた距離に、家族の思いが通い合わない白鳥らしい視線が表れる。

辰男は二三日テーブルの前に懐手をして腰を掛けたまま夜を過した。妹の頁をめくる音を聞きながら……。

『入江のほとり』の結び。兄が去ったあと、独学に励んでいた辰男が何もせずに夜を過ごす。言葉少なな描写に停滞した生活の重さが残る。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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