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父の死(久米正雄)のあらすじ・登場人物

何と云ふ妙な幸福だらう

  • 家族
  • 心理

久米正雄 1916年(大正5年)2月 「新思潮」

文字数
12,356字
読了目安
約25分
表記
新字旧仮名
種別
小説
舞台
  • 長野県

この作品について

「私の父は私が八歳の春に死んだ。しかも自殺して死んだ」——第四次「新思潮」に発表され、久米正雄の出世作となった短編。作者自身の実体験に基づく。信州上田で小学校長を務めた父が、火事で御真影を焼失した責任を負って自刃するまでの三日間を、八歳の子供の眼だけを通して描く。何が起きているかを理解できないまま、少年は父の死がもたらす「妙な幸福」に酔いさえする。近代の制度が一人の人間を殺す瞬間を、幼い無知の視点から捉えた冷徹な一篇。

あらすじ

信州上田の小学校長の次男である「私」(辰夫)は、八歳の春、父と一緒に鰻に中毒って寝込んでいる。暗い座敷にひとり残された少年は、このまま父と死ぬのではないかと怯え、神に祈ろうとして言葉の理路を失い、父ばかりが死んだらどうなるだろうと考える。「そんな事の外に、父が死んだらきつと何か悲しい大きなものがあるに違ひない。それが何だろう」——だが幼い推理はそこまでしか届かない。その夜半、けたたましい警鐘が鳴る。父の勤める女学校が燃えていた。町を見下ろす白堊の六角塔は瞬く間に焼け落ち、階上に収めた御真影と大切な書類がすべて焼けてしまう。翌朝、火事場に集まった見物人たちの噂話から、少年は父が火の回る中へ飛び込もうとして皆に押さえられたこと、御真影を燃やせば校長の責任になるらしいことを断片的に聞き知る。煙の中から現れた父は、呼びかけた息子に気づかぬ様子でそそくさと去ってゆく。家へ帰った父は書斎にこもり、人の出入りを禁じて何かを調べ続けた。息を潜めたような不安が家中に漲り、誰もが爪尖で歩くように座敷を出入りする。堪えかねた母は、無邪気を装って父の様子を見てくるよう少年に授ける。襖を開けると父は端然と坐り、ただじっと前方遠くを見凝めていた。少年は動揺の少しも現れていないことに落胆さえする——その永遠を見凝める眼の中にある懊悩を、どうして見出し得よう。翌日、父は書架の奥に秘していた吉光の短刀で自刃する。駆けつけた父の碁友達の旧藩士は、浅い腹の切傷を指して「さすがは武士の出だ。ちやんと作法を心得てる!」と泣かんばかりの悦びの声をあげ、母までが涙の中に雄々しい思いを凝める。だが少年には、どうしてそれが偉いのか解らなかった。葬式の日、葬列の先には楽隊がついた。少年は香炉を持って棺の後ろに従いながら、沿道で批評される意識を何となく愉快に感じ、できるだけ威儀をつくろって歩く。「何と云ふ妙な幸福を父の死が齎らした事であらう!」——読経のあいだに小用に立ち、戻って寺庭の黒い人の群を見渡したとき、はじめてそっと涙が込み上げてくる。そこへ黒い洋服の見知らぬ人が肩を叩き、手を握って幾度も打ち振りながら言うのだった。「お父さんのやうにえらくなるんですよ」。

登場人物

冒頭部(原文より)

     一  私の父は私が八歳の春に死んだ。しかも自殺して死んだ。      二  その年の春は、いつもの信州に似げない暖かい早春であつた。私共の住んでゐた上田の町裾を洗つてゐる千曲川の河原には、小石の間から河原蓬がする/\と芽を出し初めて、町の空を穏かな曲線で画つてゐる太郎山は、もう紫に煙りかけてゐた。

「父の死」久米正雄(青空文庫)

末尾部(原文より)

 その時一人の黒い洋服を着た人が私の肩を叩いた。其人は私がふり向く間もなく私の手を、しつかり握つて幾度か打振り打振りかう云つた。 「お父さんのやうにえらくなるんですよ。お父さんのやうに偉くなるんですよ。」  私はぢつと其人の顔を見てやつた。眼の中には明るい涙が浮んでゐた。それで私の方でも手をしつかり握り返して点頭いた。  傾きかゝつた夕日の黄ばんだ光りを浴びて、私とその見知らぬ人とは手を握り合つたまゝ、暫らく黙つてゐた。  私は此時のかうした感激の下に永久に生きられゝばよかつたと思ふ。

「父の死」久米正雄(青空文庫)

名文

私の父は私が八歳の春に死んだ。しかも自殺して死んだ。

久米正雄『父の死』の書き出し。校長だった父の死を、八歳の少年の目で回想する短編が、わずか二文の告白から始まる。

私は此時のかうした感激の下に永久に生きられゝばよかつたと思ふ。

『父の死』の結び。葬式で見知らぬ人に手を握られ「お父さんのやうに偉くなる」よう励まされた少年の感激を、大人の「私」が振り返る。

原文を読む

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