道草(夏目漱石)のあらすじ・登場人物
帰郷した道で出会う過去
- 心理
- 家族
- 文字数
- 145,914字
- 読了目安
- 約4時間52分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
1915年(大正4年)6月から9月、東京・大阪の朝日新聞に連載された夏目漱石の長編。英国留学から帰ったのち、『吾輩は猫である』を書いた頃の自身の生活を素材としており、自伝的な小説として知られる。主人公の健三は、遠い国から戻り、駒込に世帯を構えたばかりである。故郷の珍しさと淋しさを感じながら通う道で、長く会わずにいた老人と出会い、思わず視線をそらす。その顔や着物、傘を細かく見てしまうのに、家へ帰っても妻には話せない。物語は、過去に関わる人物との再会を糸口に、家族や親類との金銭や義理の関係を描く。健三の考えを追う文章には、本人が気づかない誇りを指摘する視点もあり、主人公に一方的に同情するだけでは読めない。日々の会話や沈黙の小さなずれから、近しい者同士でも思いが噛み合わない様子が見えてくる。作者の経験を人間関係の小説へと組み立てた、晩年の一作である。
あらすじ
外国留学から帰り、駒込の奥に世帯を持った健三は、大学で教えながら執筆に追われる日々を送っている。ある日、道で十五、六年前に縁の切れた養父・島田とすれ違う。幼い頃、健三は島田夫婦の養子として育てられ、実家に戻された後も金銭的な関係が尾を引いていた。島田はやがて健三の家に出入りするようになり、無心を重ねる。健三は嫌悪しながらも突き放すことができず、乏しい収入から金を渡してしまう。元養母のお常や、姉夫婦、妻の父までもが、それぞれの事情で健三の懐を当てにする。妻・御住との間にもすれ違いが積もり、健三は仕事への焦りと親族への義理に神経をすり減らしていく。最後は兄と姉の夫・比田が間に入り、百円を島田に渡し、島田との縁は証文の上では「片付いた」ことになる。安堵する妻に対し、健三は「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ」と苦々しく呟くのだった。
登場人物
- 健三 外国帰りの学者。養父との腐れ縁と生活苦に神経をすり減らす
- 御住(お住) 健三の妻。夫と噛み合わないながらも家庭を支える
- 島田 健三の元養父。縁が切れた後も執拗に金の無心に現れる
- お常 島田の元妻で健三の元養母。彼女もまた健三を頼ってくる
冒頭部(原文より)
健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷の土を踏む珍らしさのうちに一種の淋し味さえ感じた。彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭がまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭を振い落さなければならないと思った。そうしてその臭のうちに潜んでいる彼の誇りと満足にはかえって気が付かなかった。
「道草」夏目漱石(青空文庫)
末尾部(原文より)
「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」 健三の口調は吐き出すように苦々しかった。細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。 「おお好い子だ好い子だ。御父さまの仰ゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね」 細君はこういいいい、幾度か赤い頬に接吻した。
「道草」夏目漱石(青空文庫)
名文
世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ
作品の結末で、養父との縁が片付いたと安心する細君に健三が返す言葉。漱石自身の体験を下敷きにした自伝的小説の、苦い人生観がこの一言に集約される。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。