赤蛙(島木健作)のあらすじ・登場人物
なぜあの淵を渡らぬのだらう
- 心理
- 文字数
- 6,860字
- 読了目安
- 約14分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 静岡県
この作品について
1946年(昭和21年)発表、島木健作の遺作となった短編。病が重くなる少し前、療養のために修善寺へ出かけた「私」は、ひどい部屋をあてがわれて腹を立て、日がな外を歩いて過ごしていた。桂川のほとりの石に腰をおろしたとき、一匹の赤蛙が急流に飛び込んでは押し流され、また元の場所へ戻って同じことを繰り返しているのを見つける。すぐ上流には楽に渡れる静かな淵があるのに、なぜあの蛙はわざわざこの急流を選ぶのか。徒労とも意志ともつかぬ小さな生き物の姿を凝視し続けた一日を、静かな筆致で描く。
あらすじ
寝ついたきりになる少し前、「私」は静養のために修善寺へ出かけた。通されたのは一日中陽の射さない三階の端の部屋で、厠臭がひどく、部屋を替えてくれとかけあっても取り合ってもらえない。一人客の滞在客はこういう宿にとって一番の嫌われ者なのだ。怒りと不機嫌を持て余し、飯どき以外は外に出て過ごす日が続いた。ある日、桂川に沿って歩いた帰り、川を見下ろす大きな石に腰をかけた「私」は、中洲にうずくまる一匹の赤蛙を見つける。やがて蛙は流れに向かって歩き出し、水勢の一番強いところへ頭から突っ込んでいった。見る見る押し流され、波に呑まれ、中洲の突端にかろうじて這い上がる。そして元の場所まで戻ってうずくまり、しばらくするとまた同じことを繰り返す。すぐ上流には柳の大木が枝を垂らす静かな淵があって、そこを渡れば造作もないはずなのだ。「馬鹿な奴だな」と笑い、石を投げて気づかせようとしても、赤蛙は予定通り動くことをやめない。やがて「私」は、そこに執念深いほどの意志が働いているとしか思えなくなってくる。日がかげり、蛙の動きは必死の様相を帯び、繰り返しの間隔は次第に短くなってゆく。
登場人物
- 私 衰弱した体を休めに修善寺へ来た語り手。宿への不満を抱えたまま、桂川で赤蛙に出会う
- 赤蛙 中洲から急流へ何度も飛び込んでは押し流される一匹の蛙
冒頭部(原文より)
寝つきりに寝つくやうになる少し前に修善寺へ行つた。その頃はもうずゐぶん衰弱してゐたのだが、自分ではまだそれほどとは思つてゐなかつた。少し体を休めれば、ぢきに元気を回復するつもりでゐた。温泉そのものは消極性の自分の病気には却つてわるいので、私はただ静かな環境にたつたひとりでゐることを欲したのである。
「赤蛙」島木健作(青空文庫)
末尾部(原文より)
私は昼出た時とは全くちがつた気持になつて宿へ帰つた。臭い暗い寒い部屋も、不親切な人間たちも、今はもう何も苦にはならなかつた。私はしばらくでも俗悪な社会と人生とを忘れることができたのである。 私は翌日その地を去つた。たづさへて来た一冊の書物も読まず、ただあの赤蛙の印象だけを記憶の底にとどめながら。 病気で長く寝つくやうになつてからも、私は夢のなかで赤蛙に逢つた。私は夢のなかで色を見るといふことはめつたにない人間だ。しかし波間に没する瞬間の赤蛙の黄色い腹と紅の斑紋とは妖しいばかりに鮮明だつた。
「赤蛙」島木健作(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。