ハムレット(久生十蘭)のあらすじ・登場人物
ハムレットを殺せと言われて
- ミステリ
- 心理
- 文字数
- 29,876字
- 読了目安
- 約1時間
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
敗戦の翌年、高原の避暑地で話題にのぼる美しい白髪の老人。その素姓を語る「わたし」の手記というかたちで進む、久生十蘭の代表的短編。性格学を修めた青年が、実業家の一族に取り込まれ、「ハムレットを殺せ」と迫られる。シェイクスピアの筋を現代の日本へ移し替えながら、狂気と正気、罪と赦しの境目を、精緻な文体で描き出す。
あらすじ
敗戦後一年目のこの夏、三千七百尺の高地の避暑地で、ホテルのヴェランダや霧の夜の別荘の炉辺でよく話題にのぼる老人があった。輝くばかりの美しい白髪をいただき、鶴のように清く痩せた、老年のゲーテやリストを思わせる荘厳な容貌の六十歳ばかりの男である。いったいどういう高い精神生活を送った人なのだろうと、誰もが眼を見張らずにはいられなかった——物語はそこから、この老人・祖父江の来歴へと遡ってゆく。……精神病理と性格学を専門に研究してきた「わたし」は、実業家・阪井の家に出入りするようになる。オールポートの人格研究法を語ってみせると阪井は強い興味を示し、やがて娘の鮎子との縁談まで持ち出される。だが阪井が本当に望んだのは別のことであった。生きているより死んだほうが幸福だという種類の人間はたしかにいる、当人ももう生きていたくないと思っているかもしれない、助けてやる気はないか——そう言って阪井は「ハムレットを殺せ」と迫る。君でなければ殺せないというのではない、君もおれのような弱味を持ってくれ、ひとつ泥にまみれてくれというのだ、と。返事は明日までゆっくり考えろと言い残して、阪井は書斎から出て行った。物語の終わり、「このお話にはたぶんに宗教的な味がありますね」と言う相手に、祖父江は微笑してうなずき、ヨナを呑ませた大いなる魚の章句を引く。ただし、地獄がハムレットを投げかえしてよこしたことが幸福なのか不幸なのかは、まだわかりかねている、と。
登場人物
- 祖父江 避暑地で人目を引く白髪の老人。手記の語り手
- 阪井 「ハムレットを殺せ」と迫る実業家
- 琴子 阪井の細君
- 鮎子 阪井の娘
冒頭部(原文より)
敗戦後一年目のこの夏、三千七百尺の高地の避暑地の、ホテルのヴェランダや霧の夜の別荘の炉辺でよく話題にのぼる老人があった。 それは輝くばかりの美しい白髪をいただき鶴のように清く痩せた、老年のゲエテ、リスト、パデレウスキなどの Phenotype(顕型)に属する壮厳な容貌をもった、六十歳ばかりの老人だが、このような霊性を帯びた深い表情が日本人の顔に発顕するのはごくまれなので、いったいどういう高い精神生活を送ったひとなのだろうと眼を見張らせずにはおかなかった。
「ハムレット」久生十蘭(青空文庫)
末尾部(原文より)
「……さて、神は大いなる魚を用意してヨナを呑ませたまえり、という章句は美しいですね。摂理というものは、機械の組織のように、抜目なく出来ているものだと、わたしもこのごろ信じるようになりました。ただし地獄がハムレットを投げかえしてよこしたことは、ハムレットにとって、幸福なのか、不幸なのかわたしにはまだわかりかねています」
「ハムレット」久生十蘭(青空文庫)
名文
摂理というものは、機械の組織のように、抜目なく出来ているものだと、わたしもこのごろ信じるようになりました。ただし地獄がハムレットを投げかえしてよこしたことは、ハムレットにとって、幸福なのか、不幸なのかわたしにはまだわかりかねています
久生十蘭『ハムレット』の結び。炉辺で語られた数奇な物語の結びに、祖父江が摂理と地獄をめぐって漏らす言葉。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。