湖畔(久生十蘭)のあらすじ・登場人物
貴様の母を手にかけ自訴して出た
- ミステリ
- 心理
- 文字数
- 24,107字
- 読了目安
- 約48分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 神奈川県
この作品について
1937年(昭和12年)、「文藝」に発表された久生十蘭の代表的短編。「この夏、拠処ない事情があって、箱根蘆ノ湖畔三ツ石の別荘で貴様の母を手にかけ、即日、東京検事局に自訴して出た」——旧大名の家に生まれた男が、二歳にならない息子に宛てて書き残した長い手記という形をとる。厳格な父に育てられ、決闘で顔に醜い傷を負い、猜疑心と虚飾に縛られた半生。唯一その顔を恐れなかった少女を妻に迎えながら、なぜそこまで行き着いたのか。冷静きわまる文体で語られる。
あらすじ
俺は慶応二年、長坂松山城内に生まれた——旧大名家の当主である「俺」は、息子に宛てた手記に半生を書き記す。英国流の貴族に仕立てようとする父に鞭打たれて育ち、好学を装って辻褄を合わせる不誠実な性情を身につけた。十九で英国に渡り、放蕩無残な生活を送ったが、猛々しい面相と陰鬱な態度のために誰からも愛されず、娼婦の中にすら真実を追い求めていた。巴里で決闘に応じ、怯えて首を傾けたために弾丸は右の顳と耳殻を砕き、顔に醜い瘢痕が残る。虚飾家の彼にとってそれは耐えがたい痛事だった。帰国後、箱根蘆ノ湖でボートを漕ぐ十八の少女・陶に出会う。彼女だけが彼の傷を「凛々しくてお立派にさえ見えます」と言った。二人は結婚し、湖畔に別荘を建てる。だが彼は猜疑心から陶を華族の妻に作り変えようと厳しく規律し、愛情を示すことを面映ゆがって粗暴にふるまった。やがて陶は箱根で下品な文士たちと乱れた日々を送るようになり、そして事件が起きる。自訴し、精神耗弱で放免された彼は、失踪を決意して筆を擱くのだが——。
登場人物
- 俺(奥平) 旧大名家の当主。決闘で顔に醜い傷を負い、猜疑心と虚飾に縛られて生きてきた手記の書き手
- 陶 横浜の生糸仲買人の二女。十八で出会い、彼の傷を恐れなかった唯一の人
- 貴様 手記の宛先である二歳にならない息子
- 高木 別荘に出入りする男。葬儀の間じゅう泣き通していた
冒頭部(原文より)
この夏、拠処ない事情があって、箱根蘆ノ湖畔三ツ石の別荘で貴様の母を手にかけ、即日、東京検事局に自訴して出た。 審理の結果、精神耗弱と鑑定、不論罪の判決で放免されたが、その後、一ヵ月も経たぬうちに、端無くもまた刑の適用を受けねばならぬことになった。
「湖畔」久生十蘭(青空文庫)
末尾部(原文より)
下から見あげると、高木は俄に白髪の増えた顳を銀色に光らせ、観念したような、どこか仔細らしい顔をしてぶらさがっている。骨折が劇しかったので、なにか立派な芸術品でも仕上げたような満足を感じ、俺は懐手をしながら、一刻ぼんやりと眺めておッた。
「湖畔」久生十蘭(青空文庫)
名文
この夏、拠処ない事情があって、箱根蘆ノ湖畔三ツ石の別荘で貴様の母を手にかけ、即日、東京検事局に自訴して出た。
久生十蘭『湖畔』の書き出し。父が息子へ宛てた手記の形で、妻を手にかけたという告白からいきなり始まる、凄みのある冒頭。
骨折が劇しかったので、なにか立派な芸術品でも仕上げたような満足を感じ、俺は懐手をしながら、一刻ぼんやりと眺めておッた。
『湖畔』の結び。身代わりの死体を林の奥に吊るし終えた「俺」の、不気味なほど落ち着いた満足で物語が閉じられる。
原文を読む
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